この地球に生きる

konohoshi ni ikiru

春分を超えて

息子が幼稚園に行きたくないと言い始めて
コロナのことで学校が休校になって
随分とあいだがあいてしまいました。

そのあいだも
たくさん書きたいことが湧き上がって
でも書けなくて
(静かな場所で一人じゃないとどうもまとまらないのと、子どもたちと一日いるとヘトヘトになってしまうので)

やっとこうして書こうと思えて
なんだか嬉しいです。

週末は明石の夫の家にいき、
兵庫で過ごしました。

21日に
ある方にお会いする機会があり
お話しさせていただくことに。

その中で
手を組んでどちらの指が下になるか
腕を組んでどちらの腕が下になるか
を見ることで
インプットとアウトプットが
左脳優位か右脳優位かがわかる
というお話になりました。

私はin右脳out左脳だったのですが
そういう人の特徴を聞いて
そのまま私のことでびっくりしました。

なにかを取り入れようとするときは直感に従う。
だけど直感で興味が持てなければ
見向きもしない。

どんなに素晴らしいと思っていても
あるときピンとこなくなったら
バシッと終わりにして
なかったことにできる。

アウトプットするときは
しっかり根拠を持って理論的に説明したい。



まさに!そうなんです。

直感でいいと思うものを取り入れる。
そして納得いくまで調べて
体験して実験して
自分の中では完璧に信じ切れているのに
それを誰かに伝えるときには
データが足りないかなとか
順序立てて理論的に説明するのはまだ早いな
とか
いろいろなことを思ってしまうので
なかなか発信ができない。

これをもう少し掘っていくと
やっぱり怖さがある。
批判されること
肩書きもないのにと思われること・・

自分に対してそう思うってことは
誰かに対しても同じ。

自分で選択して
納得して
最高な状態でいると思えるのに

他者との関わりを考えたときに
働いていないことや
社会的な肩書きがないことに
申し訳なさみたいなものがあったんだな
と自己分析して気づきました。

子どもたちがいて
成長を側でみていたくて
自分の感覚のままに生きることをしたくて
それができる環境で
サポートしてくれる人がいて
それなのに自分だけが後ろめたく感じている。

まだまだそんなものが
残っていたことに気がつきました。



肩書きや権威に関係なく
どんな人も表現することが許される
そんな世界を望んでいるのに
自分がそれをすることを否定してたら
そんな世界は実現しない。

改めて気づけてよかったです。



その方のお話しだと、
自分がどちらの脳を優位に使ってることを知ることで補完することができるという話でした。


私は様々なことを直感で受け取っていて
本当はそれを
そのまま表現したいときがあります。

そしていま起きている事象に対して
データを取り根拠に基づいて説明できることを待ってから実践するには
あまりにも遅すぎることが多いことも感じています。


研究してデータを取って
理論的に説明することはもちろん必要。
でも直感で受け取り
実践して感覚で進めていく。
それもとても大事なことだと思うんです。


私が感じていること、体験したこと、
たとえ根拠が説明できなくても
データがなくても
伝えていきたいと思うことは
表現していきたいなと改めて思いました。

春分の日
起きてからすごくエネルギーが変わった感覚があり
朝から幸せで軽やかな状態で驚きました。

実は21日に用事があって
明石に戻ることはずっと前から決めていて
春分は六甲で過ごすためだというのが
直感であったのですが
(ある友達と六甲比命の磐座にいるところが浮かびました)
正直、関西に行くことはあまり気乗りしてなかったんです。

でも起きたときに
ちょうど日の出の瞬間で
パーっと気持ちが晴れて

庭に出たら
一年前に植えたミモザが満開なことに
気がつきました。

明石に住んでから
庭がある家が嬉しくてミモザを植えたのですが
そのあとたくさんのことが起こって
しんどい状況も続いて
明石ではあまりいい思い出もなくて
ワクワクした気持ちで生活を始めたことを
すっかり忘れていました。

引っ越してからの日々を思い出して
悪いことだけではなくて
いいこともたくさんあったことを
思い出しました。


3月20日は結婚式を挙げた日だったのですが
ちょうど10年前だったことも思い出して
なんだかものすごく感慨深い気持ちになってしまいました。

すると六甲比命の磐座に一緒にいるところが浮かんでいた友達(茅ヶ崎在住)から連絡が。

用事で実家のある神戸に向かっていて
その途中で六甲に寄ろうとしている
という内容でした。
びっくりしたけれどきっと会える気がする、、
お互い家族と一緒なので
時間と場所の約束は特にしないまま出発することに。


春分点に六甲比命あたりにいたいなー
ということを夫に伝えて家を出ました。

Twitterを見ていたらその流れで
なかなか予約が取れないプリミ恥部さんの
遠隔宇宙マッサージを受けられることになり
それがちょうど六甲へ向かい登り始めるタイミングでした。

(プリミ恥部さん=宇宙料金でマッサージをされていて、書籍も何冊か出版されています。音楽活動や舞も。)


まずは天狗岩という場所を目指して登り始めたのですが、
運動不足の私はしんどくてしんどくて。

普段登り始めてる夫にルートを任せるんじゃなかった
私と息子で車で向かえばよかった
とか後ろ向きなことも浮かびながら

でもやっぱり
きっとこれでよかったと
あとから思えるんじゃないかな
とも考えながら

(たまに夫に文句を言いながら)
とにかく必死で登りました。


フラフラになりながら
春分点の3分前に天狗岩に到着。

磐座の上に登って
家族で手を繋いで
世界中でお祈りしている人と繋がるイメージで瞑想しました。


天狗岩は気持ちが良くて
疲れすぎて動けなくて
しばらくその場でゆっくりしました。

携帯を見ると
山の中なのもあるのか
友達からの連絡はなくて
まあ会えなくても近くにいるだけで
すごいことだよなぁ〜なんて思いながら
また歩き始めました。


あまりにも疲れてしまい
六甲比命神社に行く気力もなく
子どもたちとの約束だったロープウェイの駅に向かいました。

駅が近づくと
夫が
せっかくだから六甲比命も行こうよ
と言ってくれて
迷ったけれどなかなかない機会なので
フラフラになりながら磐座に向かうことにしました。

子どもたちのブーイングを聞き流しながら歩いていると友達からメールが。

なんと近くまで来ていると。

「いま六甲比命に向かってるよ」
とだけ送って歩き続けました。


磐座と神社を参拝して
戻ろうとしたときに
やっぱり!
友達に会えてしまいました。



彼女とはじめて会ったのは
去年の夏至、六甲でした。

人混みで目があったとき
懐かしくて不思議な気持ちになったのを
覚えています。

同じ場所で
またこうやって会って一緒に過ごせるということは
縁が深いのかもしれません。


まさか〜と思ってはいたけれど
心の中ではきっと会えると信じてました。



最高最善のタイミングで
自分にとって必要なことが起こることを
信頼している

この感覚は最近の私にとって
すごく大切な感覚です。

無理やりに動かそうとするのではなくて
流れに沿って
直感を大切にして
動くこと。

自分と
自分以外のすべての存在が
チームワークのように
呼吸を合わせて
何かを起こすことで
あらわれる。


まだ言語化するのが難しいけれど
そんなふうに
すべてのことを捉えて
動いています。




友達と二人で過ごして
入り口の方に戻ると
友達の家族と私の家族が
楽しそうに過ごしていました。

ロープウェイの駅まで車で送ってもらえて
会えるタイミングから何から何まで
全てがパーフェクトにうまくおさまりました。


ロープウェイで有馬温泉に向かい
ゆっくりお湯に浸かり
明石に戻って
明石焼のお店に入り
ビールと明石焼とたこ飯で
結婚記念日をお祝いしました。


嬉しくて幸せな気持ちで
春分の日が終わりました。


エネルギーが変わった
とか
意図したことは現実に起こる
とか

根拠がなくて
伝えるのに勇気が必要で
今までだったら言いづらくて
書けなかったです。


でも感じることは自由だし
アウトプット左脳派の私が言うのだから
激しくそう感じたということです。


自分の思っていたのと違う状況になって
感覚的に違和感を感じても
過去の経験や表面に起こっていることだけで
すぐに判断してしまうのではなくて

その奥にある何かを感じること
何か到達する一点があるとして
そこへの想像を超えた近道かもしれないこと

そんな気配を感じながら
淡々と状況を眺めることも必要だと
感じています。

それとは逆に
引き際を感じたときは
瞬発力が大事なときもありますが・・

何よりその見極めが
さらに必要になっていく

そんなことをひしひしと感じた
春分の日になりました。

まずは意識を向けることが
一歩になります。



説明するには曖昧だけど
自分の中でしっかりと確信していること
そんなことも少しずつ
伝えていけたらいいなと思います。



次の日インスタを見たら
一年前の今日の投稿が上がっていて
プリミ恥部さんと私と子どもたちが写っている写真でした。

ちょうど去年の春分
奈良の飛鳥でプリミ恥部さんのライブに参加してマッサージをしてもらっていたのでした。


全てが繋がっていて
そのときは全てを理解できなくても
時空を超えて伏線を回収していく。

面白い世界に生きています。


プリミ恥部さんから頂いたメッセージ
貼らせていただきます。 


とっても大事な
春分点のタイミングを
宇宙マッサージLOVEとも
ご一緒できて
うれしいです✨
そのポイントが地球中にも響くようにいつもしていますが
弥山山頂にいた方もいて
このタイミングでの
六甲山での
宇宙マッサージは
ほんとに地球や宇宙にとっての
意味があったとおもいます✨
ありがとうございます✨💓




ちょっと不思議な話も書きましたが
読んでくださりありがとうございます。


何度読み返しても
新たな発見のあるプリミさんの本はおすすめです。

宇宙料金でされている活動も
とても影響を受けています。


愛を味方にする生き方 人生があがっていく宇宙マッサージ


地球の新しい愛し方―あるだけでLOVEを感じられる本


プリミ恥部さんのTwitter

トイレットペーパーで思い出した

テレビもラジオもない我が家。
スーパーに行くのは週に一度か二度。

Facebookの投稿でトイレットペーパーがなかなか買えなくて大変だということを知ったけれど、周りでもそんなこと聞かないし現実味がない。

ホテルで働く友達と会ったら
スーツケースとお土産とトイレットペーパーを抱えて空港に向かったお客さんがいたと教えてくれてちょっと面白かった。

持って帰るの大変だっただろうな、、

トイレットペーパーと聞いて
以前子どもたちとした会話を思い出した。

「トイレって流したらうんちとおしっこどこにいくの?そのまま流したら海汚れちゃうよ」

浄水場できれいなお水にしてから流すんだよ」

「どーやってわけるの?」

「確かにどうやってるんだろ??」

そんな会話をして
ふと頭に浮かんだのが水に浮かぶ大量のトイレットペーパー。

うんちやおしっこは仕方ないにしても
トイレットペーパーってすごい負担だろうなー。

東南アジアのようにいっそシャワーをつけておいて流したほうがいいかも。

そんなことを考えたことを思い出した。

トイレットペーパーの代わりに柔らかい葉っぱで拭くのがいいという記事も読んだ。
私はキャンプや山登りで経験済み。
たしかに柔らかい葉っぱで拭くのは便利だし、土に還るしいいことづくし。

各家庭にコンポストトイレがあって葉っぱで拭いてコンポストの土は畑に還せたら一番いいかも。

でも都会の人が急にコンポストトイレを作って葉っぱで拭くのはハードルが高いから、
東南アジアのようにシャワーをつけるほうが現実的かも?

そしたら粘膜吸収が気になるから塩素は抜いて欲しいよね。
そしたらみんなお水に塩素入れ過ぎなことも気にするかな。

でもすぐにシャワー取り付けるのも無理だから、いまできることは一回のトイレットペーパーを使う紙を減らすこと。

いまからトイレットペーパーを意識して使うのを減らしてみよう。

もしお店で買えなくなったら、葉っぱ摘んでこよう。

私も同じだった

新月の日が過ぎて
久々に見てみないふりをしていなかったものに直面して
うわーまだこんなのあったのー
という状態でした。

やっぱり他者がいてくれるから
気付けることがある。

一人の時間と同様に
人と過ごすこと大事だなと
改めて思う。


ルミナ山下さんのブログ
「最後の衣を脱いで
たましいのわたしになる」
新月のエネルギーを読んでいて
まさにそうだなーと思いました。

しんどいけれど
必要なこと。

そしてやはり
人は月や星と共に在る
改めて認識できました。

まー生きてると
いろいろありますよね。

そのいろいろが
大切なことを
教えてくれる。



Facebookの投稿を読んでいて
トイレットペーパーの買い占めで大騒ぎになっていたり
マスクをしていない人に対して怒りを感じる人がいたり
そんなことが起こっていることを知って

今の私の暮らしでは
そんなことは起こってなくて
そんな人もいるのか〜
と思って眠った。

マスクが必要だとも思わないし
(咳が出ている人は必要かもしれません)
トイレットペーパーはなくならないと思うし、万が一なくなったらそのとき考えればいいなぁと思う。



朝起きて、
ふと地震があって原発事故が起こったときのことを思い出した。

あのときは
何が起こってるのかわからなくて
マスクをたくさん買ったし
防塵用の大袈裟なマスクもストックした。

私は食品の放射能汚染のことが気になって仕方なかったけど
同じように子どもがいても
食べ物を気にしてない周りの人をみて
心の中で怒っていた。

(なんでその産地の野菜食べるのー?
みんな何も考えてない!わかってない!
信じらんない!
みたいな感じに)

原発事故前の魚の缶詰めが売っていて
段ボール何箱分も買って
ストックした。

(前にも買いたけど
めちゃくちゃ邪魔で、、
缶詰めなんて食べないし。
結局親戚にあげました。)

政府はなんで何もしてくれないんだろう
信じられなくて
怒りが沸いていた。



私も本当に
同じ思いをして
同じような行動をしていたんだった。



フォーカスすればするほど
拡大するから
意識しないほうがいい。

そんな記事も見かけた。

本当のことだと思う。



でも
怖くなって
誰かのせいにして怒って
買って蓄えて

それをやって

なにが怖いのか
なにに怒ってるのか
なんで買って蓄えたいのか

がわかった。



今まで自分の身体のこと
どんな仕組みで
どんな働きをしてくれているか
目を向けてなかった。

身体のことを知るようになって
ウイルスが身体に入ったとき
風邪をひいたとき
どうしてそんな症状が起こるのかが
わかった。

わからないままにして
病気になったら病院任せにして
よくわからないから
不安だった。



政治家が何をやってるかなんて
しっかり考えたことなかった。


買わないと
食べるものがない。
食べないと生きていけない
そう思い込んでいた。


全部全部
知らんぷりしてきたことだった。

勝手な思い込みも
たくさんあった。



なるべく身体に意識を向けて
身体が喜ぶことをして
丁寧にご飯を作って
太陽を浴びて
よく眠る。


少しだけど
畑をやって
食べ物を生まれる過程を見て

山に山菜を摘みに行ったり
竹の子とったり
海でもずく摘んだり

採れすぎた作物を
お裾分けしてもらったり

都会暮らしではできなかった体験をして
食べ物は買うだけじゃないことを知って。



日々の暮らしの中で
できることをやって
それが幸せで

そしたら何かが起こっても
受け入れられるし
不安もない。
この七年間で
そんなふうに変わることができた。



原発事故がなかったら
(まだ終わってないけれど)
私は気付けなかった。
そして
まだ気付けていない部分もある。



何かが起こって
怖いなら
怒りが湧くなら

それがなぜなのか
しっかりみないと
その元はなくならない。

みてみないふりしても
なくならないから
気づかせるために
何度も何度も何かが起こる。



政治のこと
知れば知るほど
普通に暮らしていたら知らない世界があって
思っている以上に
どこかの国や
いろんなことに対して
考えて対処しなきゃいけないことがあるようだという事を知った。

そしてもうそれを追っても
仕方ないなって気づいた。
知りたくても知れないこともある。

いわゆる陰謀論とかも
追っても仕方ない。
あるものはある。

追いたかったら
とことん追うのもいいでしょう。

でも
たとえ地震もウイルスも
人工であろうと
存在するってことは
宇宙が許可してるから
一人一人がもつ意識が許可してるから
存在してるってことは確か。


そして闇とは逆に
私たちが知らないところで
すべての命のこと
地球のこと
宇宙のこと
全力で祈り守っている存在が
たくさんいるということも
知った。

それも全てを知ることができないって
わかった。


じゃあ何ができるってなったら

自分の内側を
自分の周りを
調和させる。

そこからしか始まらないって
気づいた。



みんなが政治に関心を持って
愛を持った素晴らしいリーダーたちが
政治をすること。

それも大事だけど

どんなに素晴らしいリーダーたちが
政権を取っても

一人一人の意識が変わらなければ
何も変わらない。
結局同じように繰り返すと思う。

というより
一人一人の意思が変わらないから
政治も変わらない。



すべて自分。

見てみないふりしてきたもの
見たくないもの

全部綺麗にすっきりさせる。

それは終わりがないように感じる。



政府が何もしてくれなくて怒っているようで
本当は
家族が自分のことをわかってくれないことに
周りが何もしてくれないことに
怒っている。

で、それをもっと掘れば
自分の意思をしっかり伝えられない
自分の思った通りに生きられていない
自分に怒っている。

私はそうだった。



怖いのに
不安なのに
怒ってるのに

みてみないふりして
穏やかにすごしてるふうにしても

なーんにも
変わらない。

また別の気付くための
何かが起こるだけ。



私もまた気付くためのことが
起こって
またひとつパワーアップ
するはず。

繰り返し
繰り返し

地球の呼吸に合わせて


日々進んでいく。
変化していく。


ひとつひとつ
起こることに
心を向けて
いまを生きる。

いまこの瞬間にできること。


恐怖を観察する

少し前は寒かったのですが
また暖かくなったので
息子と畑に行ってきました。

畑にいくたびに
芽が出ていたり
野菜が大きくなっていたり
変化していて

太陽を浴びながら
畑にいられるだけで
本当に幸せになります。

収穫できることはもちろん嬉しいけれど
種から芽が出て
花が出て種ができる
その過程をこの目で見れること
近くにいられること

畑に行くと
たくさんの喜びをもらえます。

頭も心もすっきり。



(大根の花)



巷では
コロナウイルスの話題で持ちきりですね。

テレビがないので
ニュースは見ていないのですが

Facebookでいろんな記事を読んでいると
原発事故後のような雰囲気を
少し感じるものもありました。

真実を伝えているもの
不安を煽るもの
いろんな情報が
入り乱れているように感じます。


自分にとって必要な情報を
取捨選択するのは必要だと思いますが
見てみないふりをして
見たいものだけみて
安心する
というのもすっきりしない。

そんなとき私は
主観は置いておいて
とりあえず観察するようにしています。


あることを受け取ったとき
自分の過去の体験や
世間一般の常識
自分の思い込み
のフィルターがかかるから
いろんな感情が湧きます。


でも
自分も状況も常に変化しているから
なるべくそのフィルターをはずして
とりあえずそのままを受け取って

しっくりこなくても
「ふーんそんなこともあるのか」
「そんな見方をする人もいるんだ」

そんなふうに
もう一人の自分に
観察してもらうようにしています。

ただ観察する
どんなときも使えます。



原発事故のあと
散々怖くなって不安になって
情報に踊らされて

あるとき
なにがそんなに怖いのかって
考えてみたんです。


それで私が思う怖いことを出していって
大きくまとめると

未来のことがわからないこと 
お金がなくなること
家族や自分が死ぬこと


の三つでした。


お金がなくなること
については
長くなるので別の記事に書きます。


これから何かよくないことが
起こるかもしれないという不安・・

意識の世界を知って
たくさんの体験をするなかで

目の前に起こることは
自分の周波数に共鳴する

起こることはいいことも悪いことも
長い目でみたら
自分が進化するために起こっている

この二つのことを
体験してわかったので

毎瞬
最善を尽くして
ベストな選択をしていれば
どんなことが起こっても
大丈夫という確信が持てた。

(漫画を読んで笑っている瞬間も最善。)

最前を尽くして天命を待つ
です。

逆に不安に思えば思うほど
周波数も下がってしまうなら
不安に思い損。

それなのに
わからないことを
勝手に不安になって
あれこれ思考してしまうのって
無駄だなと気づきました。


私はもともと心配症で
いい調子の時も
きっとこの後下がるんだ、、
と常になんとなくの不安を抱えていたので
その正体がわかって
すっきりできて
かなり変化しました。


不安に思ったり
引っかかることがあったら
見ないようにするよりも
ノートに書いたりして
何が原因かをしっかり突き止めると
案外解決してしまうかもしれません。


あるとき
実家に帰るのがなんとなく嫌で
ノートになんで嫌なのかを書き出したら
あまりにもくだらない理由で
どうでもよくなったことがありました。




こんなふうに↓


何が嫌か
・自分のペースで行動できないのが嫌
・くつろげない
具体的には
・朝食を食べなくちゃいけない
・行きたくない場所(イオンモール)に連れて行かれる
・細かいことをいろいろ注意される



書き出してみたら
大したことないことを
気にしていることに気づいて
どうでもよくなりました。

なんとなく嫌でモヤモヤしてたけど
ひとつひとつを
はっきりさせたら
そうでもなかった。

それでも
私は確かに不快に感じていることなので
事前に伝えられることは伝えて
滞在日数を短くして向かいました。




解決をしようとしなくても
なんとなくの不安が具体的になると
案外大丈夫になることが多い。

ノートに書き出すのは
おすすめです。
 

見てみないふりをしても
結局感じた不安はなくならないので
だったらしっかり観察して把握する方が
すっきりします。



次。
家族や自分が死ぬことについて。

臨死体験をした人の話を聞いたり
過去生の記憶がある人と出会ったり

そんななかで
輪廻転生はあるのかもしれないと
思うようになりました。

臨死体験をした方の証言を集めて
研究されている方の本があると
下野さんから聞いて知りました。


古代から伝わる占星術
知れば知るほど
この人生でやりたいことを決めて
それに伴って
生まれる日時を選んで生まれてきている。
そんな可能性を感じるようになりました。

そこで
もし死んでも魂はなくならないと仮定して
考えたら・・


最善を尽くして
それで死んでしまったら
仕方ない

それより
自分が肉体を持ってやろうとしてきたことを
やらないで死ぬほうが
またやり直しか〜
がっかりだよ〜
って思う。


死んでないからわからないけど
そんなふうに考えたら
死ぬことに対して
わからないから
怖かっただけなんだなって
気づきました。



死ぬのが怖くないと思えても
痛いのは嫌だし
子どもが苦しんでるのを見るのは辛いけど
起こってもないことを考えても
仕方ない。

だったら
出来る限りのことをやって
周波数を高めて
毎瞬めいっぱい生きるしかない。



よくわからなくて怖いんだったら
ひとつひとつを見ていって
できることはやって
諦めるしかない部分は諦めて

そんなふうにしたら
スッキリする。



日々暮らしていると
不安になったり
怖くなったり
焦ったり
そんなことがたくさんあるけれど

ひとつひとつ
観察していけば
案外大したことないことが多い。



私たちの行動する要因に
恐怖が無くなったら
大きな変化です。

何度も書くけれど
全てはフラクタルだから
恐怖から行動を起こしたら
恐怖の波動を持ったまま広がります。

マスクを買いだめしても
食糧を買いだめしても
そんなに助けにはならないんじゃないかなぁと思います。

原発事故の後
事故前の魚の缶詰を大量に買ったけれど
買ったことを後々ものすごく後悔しました。
邪魔でしかなかった、、、笑



一度
自分が何を怖がってるかがわかってしまえば
もう余計なことを思考する必要が
なくなります。
前に比べてあれこれ考えることが
すごく少なくなりました。
思考が減ると
感覚がどんどん開きます。



恐怖を感じたら
何が怖いのかを観察して

今できることをやって
わくわくできるような
アイテムの助けを借りて
ピンときたら行動する

私はそんなふうに暮らしています。





yayoi








世の中には面白いアイテムがたくさんあって
自分や子どもたちにどんな反応があるのか
試してみるのがすきな私。

それを開発・研究している方に
直接会ってお話を聞くのも
すごく面白いです。


観察と実験を繰り返して
お水に還元茶におすすめは沢山あるのですが
最近愛用アイテムに加わったのが
ヘンプエキスです。


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知れば知るほど面白いです。

とりあえず試してみたい方も
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お気軽に連絡ください。

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起こること全部を信頼する

ここ数日急に気温が下がり
風が冷たいです。

寒いのは苦手だけど
暖かいお茶を飲んだり
毛布にくるまったり
寒いときにするようなことは
大好き。

いまのうちに楽しんでおきます。


そういえば
少し前に娘が小学校の体験学習で
イオンに買い物に行ったことがありました。

お昼にみんなで
はなまるうどんを食べて
非日常の体験が本当に嬉しかったようで
きつねうどんがどれだけ美味しかったかを何度も力説していました。笑

娘はそのときのことを思い出して
またきつねうどんを食べたいと言い
息子も
「お姉ちゃんだけずるい!僕も食べたい」
と騒いでいました。


仕方ないな〜と思いながら
その日は土曜だったので
うちから30分かけて
きつねうどんを食べに
わざわざ丸亀製麺まで行くことに。


お店に入ると行列の最後尾に
私の会いたいと思っていた友達家族がいて
びっくり!


そういえば
気心知れた
なんでも話せる
友達と話したいな〜と思ってたところで

でもその友達は赤ちゃんが小さいので
わざわざ連絡はしてなかったんです。

そのお友達もそのうどん屋
はじめて来たそうです。

宇宙すごい〜
ありがたい〜
と思い
その日はそのまま友達のおうちに
遊びに行ってたくさんおしゃべりできました。

別のある日。

最近ある漫画にハマっていて
笑いのツボがぴったり合う人と
どーでもいいくだらない話がしたいな〜
と思いながら
漫画を読んで一人笑ってました。

そしたら
沖縄に住んでいる
高校時代の親友からLINEが。

1ヶ月仕事を休んでいるから
会おうよ〜というメッセージでした。


その友達は恩納村のホテルで働いていて
子どもも小さいので
忙しいだろうなと
存在をすっかり忘れてて。笑

あまりにもぴったりな人からの
ぴったりな連絡で
しかもお勧めの漫画ない?
ってメッセージもくれて

これまた
宇宙すごいね〜
完璧だね〜
と思いました。


これも最近の話で

家で何かを書くのに
しっくりくるボールペンがなくて
100均やスーパーで買っても
気持ちよく書けるのがなくて

でもデパートとか行くのも面倒で

いいボールペンあったらなーと
思ったけど忘れてそのままにしてました。



ある日
よく無農薬野菜を買いに行く近所のお店
(モリンガファームさん)
で野菜を買ったら

お店の方が
「今年10周年の記念でボールペン作ったから
あげる」
とちょっと立派なボールペンをもらいました。


もう!
それが!
ほんとーーに気持ちよい書き心地で

こんなの欲しかった!ありがとう!
と思いました。






思いついた最近のことを
書いてみましたが
こんなことが
日常で当たり前に
たくさん起こります。


すると
思うんです。


無理に頑張ろうとしなくても
起こってないことを不安に思わなくても

十分必要なものは与えられるし
必要な人には出会えるし
安心して委ねて
直感のまま行動すればいいんだ

と。




一見よくないことのように思えても
やっぱり自分に必要だから起こっている
いつも後からそう思う。

渦中にいるときは
怒ったり悩んだり不安になったり
ジタバタしてるんだけど

「まーそうは言っても
これが起こるのも必要だからだろうな〜」

なんて
一歩引いたところから見てる自分がいます。


説明が難しいんですが・・
頭で「これは必要で起こってることだから!」
と感情を抑えつける必要はないんです。

じたばたしたり
揺れ動いてしまうなら
そんな自分も許してあげて

そんな自分を観察してる感じです。
(俯瞰する、というのかな。)

それを繰り返してると
怒りが湧いても悲しくなっても
その瞬間で終わらせることが
できるようになってくる気がします。
ボッと燃やすような。
(引きずってグチグチすることもまだありますが・・)


あるとき
とある踊りのワークショップと舞台に参加したくて

でも参加するのに必要なお金がなくて


それでもなんとなく
参加してる自分が浮かぶから
どうなるかなーと思ってたんです。



で、そんなことも忘れて
魚がたくさんいるという海に
子どもたちとシュノーケルに行きました。

はじめていった場所で
水中メガネをして海に入ったら
あまりにも魚がたくさんいて
夢中になりすぎて我を忘れて
子どもたちと三人で
海にずーっと入っていました。


で、ふと気づいて
そろそろ戻ろうかなと思って振り返ると
潮が満ちていて
荷物を置いていた場所が見えなくなっていました。

慌てて戻ると
着替えと携帯とポケットWi-Fiと財布が海に漂っていて
ぼーぜん。

誰かが拾ってくれた着替えが
木に干されてたり。笑


全て洗い流されてしまい
途方に暮れながら家に帰りました。
(ちょうど新月でした)


スマホに頼って生活していたので
iPhoneWi-Fiが急になくなると
とても不便。

アパートの友達に電話を借りたり
Wi-Fiを借りたりしながら
新しいiPhoneを頼んだり
通信会社とやりとりしました。
(周りの助けが本当にありがたかった、、)

で、途中解約したはずのWi-Fiがなぜか使えるようになったり
不思議なことが起こりつつ
( 説明すると長すぎて、不思議な現象も多いので省略します)

いろいろあって
届いたものも初期不良があって
ときには怒りながら
オペレーターの人とやりとりして・・


そんななかで新しいiPhoneを買うのに
お金が足りなくて
夫に相談したんです。

いつもだったら
なんだかんだいってもお金をくれるのに
今回は
「自分でなんとかしたら」
と言われてショック!

でもどうすることもできなくて、、


私は母に何かを頼むって絶対ありえないことなのですが
(いつか書きますが母との間にいろんなことがあり、和解はしているけど何かを頼むのは抵抗がありました)

ふと思いついたので
仕方なく笑
連絡してみたんです。

そしたら文句を言いながらも
すぐにお金を送ってくれて
(いくら送ってとは頼んでない)
iPhoneとワークに参加するお金で
ちょうどぴったりの額でした。

そして
そろそろ新しいiPhoneにしたいなーと
思ってたことも思い出して

お母さんも私を助けられたことに
喜んでいて

すべての希望が
完璧に叶ってしまっただけでなく
それ以上に
今の私に必要な経験をすることができました。



過程が大変すぎて
宇宙のやり方乱暴だなぁ
とか思いましたが

こんなふうに解決するなんて
自分じゃ想像つかないし
「自分でどうにかしようと頭で考えるより
宇宙にお任せした方がいいじゃん!」
と降参しました。



超大変で
嫌なことが起こって
ピンチになって
でも終わったら
全部自分がよくなるためだった

という体験談は

書き切れないくらい
山のように
たくさんたーくさん!!!
あるので


意味もなく
不安になる必要がないことに
いい加減気づきました。


どんなに大変なことが起こっても
超しんどくても

大丈夫大丈夫
って思うもうひとりの自分がいれば

思う存分振り回されても
その体験がある前の自分より
絶対進化するんです。



いいことが起こっても
嫌なことが起こっても

ぜーんぶがよくなるためだけに
起こってるって
心のどこかで忘れないでおけば

何かに不安になったり
怖がったり
そんな必要はない。



自分の中に宇宙があって
全部丸ごと信頼して
みんなが安心の周波数を放てば
自分の宇宙が調和すれば
全体も自ずと調和します。


だから
目の前に起こることから
逃げないで
ただやればいい。


えーそんなの信じられない〜
という人こそ
実際にやって体験してほしい。



みんなが自分の意識の力を信じて
自分の世界に起こることを信頼して
ただ安心の周波数を放てば
あっという間に世界は変わると思います。

この世界はフラクタルだからです。




いま
不安に揺さぶられている人
それはどこから来ているのか
ただ観察してみてほしいな
と思います。



まずそれぞれがやることは
自分の中の宇宙を調和させること。

身体の調和
自分の精神の調和
(抑えた感情が自分に残っていないか)
家族・パートナーとの調和

それができていないのに
世界の平和を祈っても
なんの効果もない。

自分に直接起こってないことに対して
怒ったり不安になっていても
なんの解決にもならない。

長くなってしまったので
そんな話しは別の投稿に書きます。


安心していよう
わくわくを選ぼう

それはフワフワした
意識だけの世界の話ではなくて

いまここにある
自分が調和していること
(健康であること、穏やかであること)
周りと調和していること

それを確認できたら
安心して
信頼して
喜びを選択する。

すぐ忘れちゃうけれど・・
そんなことを意識しながら
日々丁寧に暮らしていけたらと
思います。






yayoi

思えばある あるから思う

数日前の朝
どこかで花が咲いたのか
昨日までと違う香りがして
ただよう空気が変わって
とにかく気持ち良くて
わくわくしました。

毎日同じことを繰り返してるように思えても
感覚を使うと
毎瞬
新しい変化を見出すことができます。

面白いです。



前の投稿の続きです。



放つエネルギー(周波数)によって
現実が変わるなら

思ったことを現実にすることができる。


それを当たり前だと思えば
(それが起こる周波数を放てば)
思いは現実になります。



それがわかりやすく
確信に繋がったのは
家探しの体験です。



新潟に住んでいたときのこと。
私たちは
アパートで暮らしていました。


息子が生まれて

もっと家の中で動き回れるといいな〜

味噌の瓶とか梅干しとかで台所が狭すぎる

庭で植物育てたいな

なんて思うようになって
一軒家に引っ越したくなりました。


でもアパートがある場所は
夫の会社まで自転車で行ける距離。
夫は毎朝気持ちよさそうに
川沿いを自転車で走ったり歩いていました。

駅からも歩けるので
通勤にはちょうどいい場所で
幼稚園からもほどよい距離。


しかもアパートは社宅契約だけど
自分の都合で引っ越した場合は
自己負担になる。

普通に考えれば
引っ越すのは
微妙な雰囲気でした。

引っ越したいと思ったときは
もう新潟も六年目で
いつ転勤になるかわからないし
少しの間我慢しなさいと
親と義両親からは言われました。


でもそのときの私は
自分がいい気分でいることが
みんなにもいいことだとわかっていたので
引っ越しできる気がするな〜
と思っていました。



それでも実際は
不動産屋やインターネットを見ても
なかなか見つからない。
そもそも戸建ての貸家はほとんどありませんでした。

夫は何件も見学についてきてくれて
会社から遠く離れるのに
ちょっといい家があったら
ここにしてもいいんじゃないと言ってくれました。


でもなんとなくぴんとこなかった。

いまのアパートの近くで
私の理想の一軒家がある気がする・・


その日は週末だったので
ふと思いついて
アパートのある町の隣町まで
家族で散歩してみました。

そしたらなんと
思い描いていたような
庭の広い家があって
なんとなく中を覗き込んだら
人が住んでない雰囲気。

その場所の住所を
スマホで検索しました。

すると何年か前の賃貸情報がでてきたので
早速電話。

私「あの〜〇〇町〇丁目の空き家は賃貸してますか?」
不動産屋「ちょうど退去したばかりでまだ情報をインターネットにも載せてない家です。どうやって知ったんですか?」

やっぱりあったー!
ラッキー!

そんな流れで本当に引っ越すことができました。

私のわがままでお金は多くかかるし
親にも小言を言われたけど

引っ越してから
子どもたちは走り回って大喜びで
庭から入る日差しは気持ち良くて
広々と瓶を並べて
友達がよく遊びにきてくれて
夫も今まで通り自転車で会社に通えて

本当に全部が完璧で
引っ越してよかった
と心から思いました。

一年後には転勤が決まって
家を出ることになったけれど
たった一年でもあの家に住めて嬉しかったし
一生忘れない思い出になりました。


なんとなくだけど
引っ越せる気がするのは当たっていたし
思い描いていた家が
あって欲しい場所に
ぴったりとありました。

思いを現実にすることができる
やっぱりそうなんだなと
思った体験でした。


引っ越しシリーズで
いまの家の話。


娘の不登校をきっかけに
沖縄移住を決めて
たくさんの学校を見た中で
この小学校がいい!
と決めて家を探し始めました。

けれど
不動産屋をまわり
たくさんアパートを見て回るけれど
しっくりくるところがない。

海が見えて広くて
学校も近くて
というアパートを見つけたけれど
家の前が大きな道路なのが
モヤッとする。

でも絶対引っ越したいし
帰りの飛行機の日までに
絶対見つけたい。

でもしっくりこない〜
ぴったりの場所がある気がする。

そんな感じて日が過ぎて
焦って
一生懸命探して
やっぱり見つからなくて・・

あーいまの私の状態が
あんまりよくないな
と気づきました。
(周波数が落ちていると気づく。)


帰る日の前々日で
焦る気持ちを抑えながら
焦っててもいい流れにならないから
気分転換に
沖宮に参拝しに行ってみました。


そしたら気持ちの良い風が吹いていて
心が落ち着きました。

参拝し終わって
ベンチに座って
何度も何度もみたはずの不動産屋のサイトをふとチェックしてみました。

すると今までなかった
アパートの情報!

すぐに電話すると
まだ退去してないけれど三月中に引っ越す連絡があって新たに掲載されたアパートでした。


子どもたちと現地に行ってみると
思い描いていたのは
まさにここだーという場所に
アパートがありました。

小さな道を抜けて
守られている場所で
海が見えて
後ろには山があって
小学校も近い!


こうやって巡り合えたことに
たどり着けたことに
感謝の気持ちが湧きました。


いまの家が
私を待っていてくれた気がしました。


こんな体験を何度も何度も繰り返して


どーしても叶って欲しい!
と強く意識するより

当たり前にそれはあるよね〜

と自分に湧き上がった思いを
信頼するような感覚でいると
それは本当に起こることがわかりました。


あるとき思い出して
数年前に
新月の願い事(完了形で書く)
を書いたノートを見たら
書いたものは
全部叶っていました。


「沖縄に住む」
も書いてあって
書いた当時は
住むのは子どもたちの手が離れてからかな
と思ってたのに
こんなに早く現実になるとは
当時は想像もしてなかったです。



目の前の世界は
すべて自分の思考が創り出している
そう仮定するなら
いま目の前にうつっているのは
自分が当たり前だと思っている世界なわけで

いまの自分ではあり得ないような現実も
100%信じられたら
それは目の前に起こります。


そして
思ったことが
目の前に現れることを何度も繰り返すと
思いが現実になるのではなくて
現実になるから思いつくんだ
と思えるようになりました。



だから
いまの私ではありえないようなことも
行けるような場所ではなくても

ふと思いが浮かんだら

それを現実にするかどうかは
自分が選ぶことができる。

どんな突拍子もないことも

それ私やるんだな
そこ私が行くんだな

そう思って
思いつくまま信じて
行動していけば
どんなことも現実になります。




そういえば
神戸三宮の雑貨屋に行ったときに
ネイティブアメリカンがセージを炊く時に使う貝殻が売っていて

その頃家でよくセージを炊いていたので
欲しいなと思ってけれど
そのときはなんとなく
買わずに帰ってきました。


その週末に小豆島に家族でキャンプに。

海辺のキャンプ場で
早朝
気持ちがよくて、一人で海辺に座って
瞑想しました。

目をあけると
目の前にお店に売っていた貝殻がありました。笑


いまでもセージを炊くのに使ってます。



それが欲しいと思うのは
手に入るから浮かぶ

行きたいと思うのは
行けるから浮かぶ

やりたいと思うのは
やれるから浮かぶ

当たり前のように信じられたら
それはもう現実として存在しています。




わくわくして
安心して
湧き上がる思いを信頼して

私たちは
どんどん面白い世界を
創り上げることができます。



他の人が求めるものや我欲ではなく
魂が求めることなら
当たり前に起こる

それが一番わかりやすく説明されているのが
よしもとばななさんの小説です。


花のベッドでひるねして

このお話を読んだとき
そのときに感じていたことが
全部お話になっていて
すごく嬉しかったです。

説明しづらい
絶妙なニュアンスも
表現されています。




思いは現実になることに
気づいて実践を繰り返していたとき

たまたま読んだ少女漫画(となりの怪物くん)に

「物質は観測者がいて初めて存在する」

という言葉が出てきて
まさに!と思いました。

(量子力学の二重スリット実験)




思ったらすぐ目の前にあらわれる

そうかな?と思ったら
メッセージが現実にある。
(漫画とか映画とか・・すべてのものに)



何を思うか
何を信頼するか
何を感じ取るか

すごく大切にしています。





Yayoi

なにを放つか

先週までは
家でのんびり過ごしてたのですが
今週は予定が入り
ほぼ毎日外出していました。

流れというか
全てはなるようになっていると
いつも思うので
波が来たら思いっきり乗れるように
休息モードのときは思う存分休んで
引きこもって漫画読んでます。

現代の日本人って
ただ休むことに
罪悪感持ってる人は多いんじゃないかな
と思います。



ホメオパシーの投稿や
前回の投稿で
数年前
エネルギーや波動、
周波数に興味を持ったことを書きました。

当時は
それがどういうことなのか
どんな仕組みなのか
を知りたくて
いろいろな本やブログを読み漁りました。

(私はなぜ?とか仕組みを知るのが
大好きなタイプ)


そこで
いわゆる
引き寄せの法則」だったり
「思考は現実化する」
という現象は
素粒子の世界から紐解けば説明できる
ということがわかった。

私みたいに
なんでなのか仕組みが知りたいんじゃー!
という人は
どうぞ自分でいろいろ調べてみてください。
(量子力学、スピリチュアル、いろんな視点からの解説があります)


仕組みを左脳で理解しないでも
感性でオッケーな人は
仕組みは飛ばして
とにかく実践してみて欲しいです。




ざっくりと書き出してみると

・存在するすべてのものの最小単位は素粒子

素粒子はそれぞれ振動している
 その振動が波を作りだす=周波数(エネルギー)

・同じ周波数同士共鳴する

・自分の放つ周波数に合わせて異なる現実が投影される




もしこの法則が本当だとしたら
自分の放つエネルギーを意識したらいいんだ
と思った私。



そしてわかっていったのが
周波数が高くなるのは
わくわくしたり、喜んでいるとき。
安心しているとき、心地よいとき。


それを知って
とにかく日常で実践してみた。

自分がどんなときに心地よいと感じるか
そのあとどんなことが起こるか
細かく観察していく。


はじめは何が心地よいのかを
忘れている状態からのスタートだった。


私はお茶をゆっくり飲むときにリラックスするんだ
家の中がごちゃついてるとモヤモヤするんだ
物の質感にこだわりがあるんだ
太陽が出て気持ちがいいときに自然の中にいると嬉しいんだ
誰にも邪魔されないで漫画を読むのが好きなんだ

(逆にママ友と旦那の愚痴で盛り上がるのは面白くない、、だったら家で一人でお茶するほうがいいなー)

などなど。


で、そんな状態のときに
起こることにも
ひとつひとつ意識を向けました。


するとやっぱり自分が心地よい状態でいると
どんどんいいことが起こるし
スムーズに運ぶ。

会いたいと思ってた人にばったり会えたり
忘れてた場所からお金がでてきたり
本当にいろいろなことが起こる。


そして逆に
不安になったり身体が不調になってるのに
ごまかして我慢したりすると
次々とよくないことが起こっていく・・



わかりやすい体験の話をすると・・


私は旅行するのが大好き。

当時住んでいた新潟は
11月は雨が多くて天気も荒れることが多い。

関東で育った私には
カラッと晴天の続く秋じゃないことが辛くて。
しかも11月は誕生月、、


モヤモヤ過ごすなら
気持ちのいい場所に出かけたらいいんじゃない?とふと思いついて
大好きな沖縄のことを思い浮かべたら
とにかくテンションが上がってきた。


そしてその勢いで
(日にちが〜、お金が〜、幼稚園が〜とか
とりあえず全部置いておいて)
スマホで航空券を調べたら
たまたまセールで2000円の航空券が目に入ったので
何も考えず予約して旅行に行くことにした。


もともとあれこれ考えると
不安になって動けなくなるタイプだったので
「実験だ〜」と
とにかく自分の状態(放つエネルギー)に意識を向けて準備して
夫には「いくことになったから」と告げて
旅に出ました。


何が起こってもいいようになる。
そんなふうに思って感覚を頼りに過ごした旅。
その年の旅ではいろいろな人と出会い
今も繋がっています。
道端で子ども同士が仲良くなっておうちに遊びにいかせてもらったり
面白くて嬉しいことがたくさん起こった。

格安で借りたレンタカーがエンストしたけど、たまたま通りがかった人が助けてくれたり。
 
詳しくは覚えてないけど
想像を超えたミラクルがたくさん起こりました。

自分が放つエネルギーを意識すると
こんなことが起こるのか〜と体感したのは覚えてます。




その年の冬は家族でチェンマイ に。


タイが大好きな私はテンション高く現地に到着。

観光客が行かないようなローカルな場所が好きなので
ネットで調べてタイじゅうから人が集まる
タイ人しか訪れないラーメン屋の情報を発見。
店の名前もわからないなか(タイ語で読めなかった)道ゆく人に聞きまくり
なんとかたどり着いた。



ラーメンを食べていると

お店の人「どこからきたのー?」(英語)
私「日本だよ」
店「日本のどこ?」
私「新潟」
店「新潟のどこ?」
私「(えー知らないと思うけど)上越
店「上越に弟が住んでる」

え〜〜と思いながら
お店の人が見せてくれた写メをみたら
旅前に家族で遊びに行った近所のカフェの主人でした。さすがにびっくりー

家族でカフェにいったとき
チェンマイで行くのにお勧め聞いたら
メジャーな場所しか教えてくれなかったのにー。
(どうやらこんなローカルなお店に行くとは思わなかったよう。)




次の日はオーガニックマーケットに行こうと思って
その場所に行くとやってなかった。
近くを歩くと気になってたシンギングボウルのお店があった。


(家族で行くと文句言われると思って行くのやめてたのにラッキー!)

そう思ってお店にはいると
何やら素敵な雰囲気でシンギングボウルを購入したくなった。
けれど説明の英語が難しくてわからず・・

するとそのときちょうどお店に入ってきた人が、奈良からシンギングボウルを習いに来た日本人だった。


お店の人が「この人は常連で詳しいから信頼して」
と言ってくれて
その方に丁寧に説明してもらい
私にぴったりのシンギングボウルを選んで
納得のいく買い物ができた。

その方は天川村から来ていて
次の年、私は天河弁財天に行くことになったのでした・・



そのあと向かったツリーハウスは想像以上に素敵で、チェンマイの旅は本当に面白くて素晴らしい旅になりました。


旅の最中トラブルは何度も起こるけど
そのたびに心の中で
(まぁ大丈夫でしょ〜)
と思ってたら本当になんとかなりました。


こんなこと
みんな多かれ少なかれ日常で体験してると思うんです。

自分が好きな場所にいってテンション上がってるときに奇跡的なことが起こったり
なんか最近調子いいぞー
みたいな。



でも思考が入ると
(常識で考えたり過去の体験を持ち出したり)
すぐに周波数は下がる。

日常に戻って
目の前のことを片付けることに精一杯で
未来のことに不安になって
周波数は下がっていく。

その繰り返し。


下がることがよくないのではなくて
自分が自分でそうしていることに気づかないのがもったいないだけで
これも自分がやってるんだな〜
ともう一つの視点があれば
またすぐにエネルギーは整えられます。



小さいことから大きいことまで
何年も実験してきたから
もうはっきり言えます。

「自分の放つエネルギーが
自分の世界を創っている」

自分が心地よい状態であれば
自分から放たれる周波数が変わり
自分にとって最善のことが起こる。


いまこの瞬間
心地良くなかったら
行動する前に
自分のできることで
一番心地良くなれることをしてみる。

(コーヒー飲む、漫画読む、映画見る、庭仕事するでもなんでも)

人がいいっていったことじゃなくて
自分が心地良くなれることを、です。


で、一息ついて
少しでも気持ちが軽くなったところから
行動を始めてみる。


なにか違うなと感じたら
見ないフリをしないで
対応して改善する。




すべてのものはフラクタクル構造なので
=最小のものと最大のものは同じ形

(さとうみつろうさんのブログ
わかりやすい説明があります。)


モヤモヤしていたり
不安なまま行動しても
同じエネルギーの現実しか起こらない。

だったら
一息ついて
安心して
そこから始めた方がいい。

何が不安なのか
ノートに書き出してみたらいい。
書いたらぜーんぶ
自分が原因だから。笑
 




いまこの瞬間から
自分から放つエネルギーを
意識してみる。

いまあることに目を向けて
生きていることが
超ありがたいっていうことを思い出して

超ありがたいと思えなければ
まずは自分をいたわって
お茶でも飲んで
ゆっくり寝て

一人一人が放つ周波数が変われば
みんなの目に映る世界が変わる。

世界全体が変わる。
 


目の前で起こることが
一番信じられること。

やってみないと
わからない。


いつだって選択は自由なのだったら
よりハッピーな方を選びたいですよね。



いまこの瞬間
こうしていられることが
ありがたくて
嬉しくて

そう思うと
また素晴らしいことが起こって

またありがたくて
嬉しくて

よくないことが起こっても
悩んで迷って怒って
体験し終わったら
やっぱり必要だったことがわかって

そしたらどんなことが起こっても
心のどこかでは
大丈夫って安心ができて

どっちにしろ
ありがたくて

なにも起こらなくても
ありがたくて

みたいなことが
エンドレスで続いていく。



長くなってしまったので
続きます。