この地球に生きる

konohoshi ni ikiru

どん底体験はギフト

娘を小学校の途中まで歩いて送るのが
毎朝の幸せな時間。

大好きな南国の緑と、
朝の気持ちの良い空気。
御嶽や湧水にご挨拶しながら歩く。

全てが気持ち良くて、
毎朝幸せな気分で始まるのが嬉しい。


アパートのベランダや駐車場から、
夕日を眺めるのも毎日の幸せな時間。

毎日違う空を眺めながら、
海や街を眺めながら、
やさしい気持ちで一日が終わっていきます。

子どもたちが小学校と幼稚園に通っている間
一人きりでご飯を食べたり
コーヒーを飲んだり
そんなときに超幸せを感じる。

久しぶりに一人の静かな時間が訪れたときは
涙が出るほどありがたかった。

娘が不登校にならなかったら、
こんなふうに毎日のことに
幸せを感じられなかったと思う。


娘が不登校だったのはたったの一年。
でも慣れない土地で
まったく自分の時間がない毎日が
しんどくてしんどくて仕方なかった。
「ママを一人にしてくれ〜」
と泣きながら子どもたちに訴えたこともある。
大変だったなー。

でもどんなに大変でも
どこかに
絶対大丈夫があった。

目の前のことに振り回されて
感情的になっている自分を感じながら

今よりよくなるために
全てのことが起こっていると
信じられた。

どうしてそう思えるんだろう。
考えてみたら
やっぱり思い浮かんだのは
死んでしまった父のこと。

七年前
大好きな父が突然自殺してしまった。
そのすぐあと
祖父まで同じようにして逝ってしまった。

あのときは何が起こったかわからなくて、
受け入れられなくて
母を恨んで
放射能を理由に関東に近づかないようにして、
いろんなことに蓋をするしかなかった。

ちゃんと向き合ったら
壊れてしまいそうだったから。

友達が心配してくれたり
お線香あげたいって言ってくれても、
どんな顔して会ったらいいかわからなくて
断って距離を置くしかなかった。

でも、あれから
いろんなことの捉え方が変わっていった。
どんどん本当の自分に戻っていく
きっかけになった。

「どんな死に方をしても
親の死はギフト」
信頼するホメオパスさんの言葉。

子どもの生と
親の死。
それがなければ、
私はなんとなく
それなりに生き続けていた気がする。


時を経て
少しずつ癒やされていくのは感じてたけど
自分以外の誰かに話すことはなくて
なんだか心の奥に重いものをしまっているような感じだった。
罪悪感、申し訳ない気持ち・・




沖縄に住み始めてからある日
不食の弁護士・秋山義胤先生のワークショップに参加して
お昼をご一緒させていただいたことがありました。

そのとき秋山先生が話してくださったのが
「これからは家族の自殺ももう隠さなくてもいいんです。オープンにすることで誰かが軽くなりますよ。」
という言葉。

私の事情は知らない先生からのお話。
なんだか扉があいた感じがして
すごく軽くなった瞬間でした。



いまも思い出して悲しくなってしまうこともあるけれど
やっぱり見守ってくれるのを感じるし
とにかくありがとうと伝えたい。


私が素敵だなと思う人は、
実は結構大変な経験をしてる人が多い。
一度死んだことがある人が何人もいる。笑

でもそんなこと忘れたかのように
みんな軽やかに生きている。

どん底を体験しちゃうと、
大変なことが起こっても
来た来た〜!と喜んじゃう変態な自分がいる。
次にどんなステップアップがあるのか
楽しみにしちゃうような。


当たり前に起こることに、
心から感謝するのって難しい。
そんな未熟な私のために
いろんなことが起こる。
それを望んでるのは自分なんだなって思う。

どん底な体験なんてなくても
毎日に幸せを感じられたら
それも最高。
どちらもオッケーだと思います。





もうこれからの子どもたちは
敢えてどん底を経験しなくてもいいんじゃないかな。
もう今までで十分経験したから、
はじめから調和の世界を生きてほしい。



父の命日まであとちょっと。

お父さんありがとう。
私を側で見守ってくれた
子どもたちと夫にもありがとう。

あのときの私に
大好きな沖縄に住んでるよって伝えたら
驚くだろうなー。


そういえば父が亡くなった後
少ししてから沖縄に来て
今の家の近くの海や御嶽で過ごしてたことを思い出した。
あのときはこの土地に住むなんて
思いもしなかったなぁ。
本当に沖縄の土地には癒されてばかりです。



今日の夕日も綺麗でした。



yayoi