この地球に生きる

konohoshi ni ikiru

どっちもオッケーは最強

自然の中で過ごすことが好き
そんなことを話したり書いたりするので
すごくアウトドアな人
と思われがちなのですが

普段は
スマホ依存症を心配するくらい
スマホをいじり
漫画や本を読み
のんびり家にいるのが好き。
(スマホ依存症はどうにかしたい
とは思っている)


でも
自然の中にいることも大好きで
キャンプも好きだし
人が行かないようなワイルドな場所も好き。

どっちも私。



旅が好きで
Facebookにもよく旅の投稿を載せるし
いろいろな場所に行く。
だからいつもどこかを飛び回っている
そんなふうに思われることも多い。

でもどこかに行ったあとは
反動なのか
とことん家で休む。
回復するまで結構時間がかかる。

家で休んでスマホ見てることなんて
投稿しても誰も面白くないから
しないだけ。笑

どっちの私もやっぱり私。

最近のこと。
私は見た目がヴィーガンっぽくみえるみたいで
ヴィーガンなの?
と違う人から何回か聞かれた。

ヴィーガンは大好きだけど
ヴィーガンてこともないんです
と応えた。


そういえば
子どもたちが産まれてから
Facebookでシェアされていた
ある動画を見たことがあった。

鶏や豚が工業製品のように
ベルトコンベアに載せられて
モノのように扱われながら
精肉されていく様子。

ショックだったし
かなり影響を受けた。


あといまでも大好きな


アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)

を読んだ影響もあったり


他にもいろんな人の話を聞いたりするうちに
なんとなく
お肉を食べることへの罪悪感が芽生えて
だんだんとヴィーガンのような食事になっていった。

その頃は
添加物や環境のことを気にして
コンビニで買ったものを食べることは
ほとんどなかった。

何を食べるかは
いつも悩みの種で
買うものがないなーと感じて疲れて
マクロビスイーツや
素材の良いスイーツを食べることで
なんとかごまかしていた。

いま思えば
授乳もしていて
すごい貧血状態だったし
栄養不足だったような気もする。


そんなある日
インフルエンザか何かで
高熱が何日か続いて
全く何も食べられなくなった。

うさとの服をパジャマにして
(手織り手染めの丁寧に作られた服)
熱にうなされながら寝ていたら
腰のタグのところが熱くなって
「食べ物をジャッジするのはやめにしよう。
許してあげよう」
そんな声が聞こえたような?
浮かんだような?

そんな気がしたあと
やっと熱が下がっていった。


そして熱が下がって
すぐ食べたいもので浮かんだのは
肉だった。笑

その頃は
ヴィーガンやマクロビを
基本にしていたし
断食後の回復食の知識があったから
そんな自分にびっくりした。


友達が弱っている私に連絡をくれて
「なに食べたい?」
と聞かれて
「肉」
と答えたら
驚きながら
野菜とお肉の優しいおかずを持ってきてくれた。

肉以外のものを口に入れると
吐き気がしてしまう。

もう笑うしかないな
とか思いながら
しばらく肉を食べ続けた。



そして少し動けるようになって
友達とカフェに行って
大好きなタルトタタンを頼んで
一口、口に入れたら
気持ち悪くなって
そのあとまったく食べれなかった。

みんな
甘いものが大好きな私を知ってるから
すごく驚いてたことを思い出す。



そのあと
しばらく経って
なんでだかふと
コンビニに行きたくなって

今まで絶対食べないようにしていた
ショートニングたっぷりの
クリームが挟んだパンと
コンビニのコーヒーを買って食べて飲んだ。

なんでだか
ありがとう
ごめんなさい
って言葉が湧いてきた。




そんなことがあって
それからは
頭で考えずに
食べたいものを食べようと
思うようになった。

身体や心が
食べたいといえば
子供達が
食べたいといえば
なんでも食べる。

いただいたものは
感謝していただく。

いろんなことに敏感になるうちに
エネルギーが感じられるようになって
作り手の思いや状態が
食べ物を変えてしまうこともわかってきた。

どんなにジャンクなものでも
食べさせてあげたいっていう
気持ちがのったものは
食べ物から愛を感じることがある。

外食をしたり買ったものを食べたりすると
やっぱり
普段使っている丁寧に作られた調味料は
すごく美味しいんだって
改めて気づけた。


そして
不食の秋山先生とお会いして
食べなきゃ生きていけないっていう
固定観念もなくなってしまった。

食べなくてもいいんだったら
せっかく食べるなら
食事の時間を
喜びを感じる時間にしたい。

食べることの喜びを感じるのは
人として産まれたことの喜びだなぁ
そう思います。




沖縄はヴィーガン食文化が根付いていて
ヴィーガンカフェやレストランが
たくさんある。

自然栽培の元気な野菜も手に入りやすくて
私にとっては天国のような沖縄。 


ヴィーガンレストランやカフェで
でてくる料理は
彩豊かで芸術のようで
ヴィーガンじゃないひとも
超美味しく感じられて
食べるたびに幸せになれる。
お腹も満足できるように工夫されている。



ヴィーガンケーキは
美味しくて美しいだけじゃなくて
食べたあとも軽やかで
嬉しくなる。

味にうるさい子どもたちも
大喜びで食べる。


こんなに美味しくて
芸術のように美しくて
地球にも優しくて
ヴィーガンって素晴らしい!
って素直に思うことができる料理を
気軽に食べられる。

超幸せなことです。



でも
子どもたちの
ハンバーグ食べたい
ウインナー食べたい
あのお菓子食べたい
も叶えてあげたい。

みんなと一緒のものを食べたい
当たり前の自然な気持ち。
その気持ちもできるだけ尊重したい。

最近は
完全なヴィーガンにならなくても
お肉をいただくのを
特別なときにしていくのがいいなぁと
思っている。




環境によくないから
動物たちによくないから
頭で考えて決めて
心と身体の声を聞かなかったら
私には反動が返ってきた。

否定のエネルギーが元にあると
どんなに
素晴らしいことをしているように思えても
自分の中で争いが起きていた。


心と身体が喜ぶことを
地道に探して実践していったら
自然に地球と寄り添うことになることに
気づいたときは
宇宙はよくできているなぁと
感動した。


遠回りに思えるかもしれないけれど
実は
自分の中の争いをなくすことが
私の理想の世界への一番の近道だって
あらゆる体験から思う。



私たちの世界って
本当に両極端で

たとえば

自然育児と
いまの普通の幼稚園や保育園のあり方

自然療法と
西洋医学

などなど

笑ってしまうくらい
向いている方向が
真反対で

両極端なことが
たくさんある。


私にもこだわりがあって
譲れないことも多々あるけれど

それでも
両方オッケーして

それも必要だったよね
いまも必要なときもあるかもね

ありがたかったね
ありがたいね

そう思えたら
じゃあ両方オッケーだったら
自分にとって
心地よいのはどっちだろうって

自分の身体と心に聞いて
よりハッピーな方を選ぶのが
私はいいな。



なにかを否定することで
自分の意見を正しいものにするのは
もうやめた。


自分の中の争いは
もう終わり。



ただ
私にとって

心地よいか
好きか
美しいか
喜びがあるか

そんなことを大切にして
暮らしていきたいな

そう思っています。






yayoi