この地球に生きる

konohoshi ni ikiru

繊細、敏感、どっちも才能

毎日、洗濯物を干しながら
海を眺める。

水平線は
やわらかい曲線を描いていて
地球は本当に丸いんだなぁと
感じます。



我が家の子どもたちは
どちらも繊細で敏感。

HSP(HSC)=敏感体質の人
のチェックリストも
二人ともだいたい当てはまります。


たとえば
二人ともダメなのが
外出先のトイレの音。

はじめての場所でのトイレは怖いようで
(用を足しているときになる小さな機械の音や、突然自動で流れるのが怖いみたい)
二人とも未だに一人でトイレに行くことができません。

二人とも耳を塞ぎながら
涙目になりながら
トイレを済ませてダッシュで逃げていく。笑

小さい頃
森の中で過ごすことが多かったから
どんなとこでも
野外で用を足すのは全然平気で
自然の音には驚かないのが面白い。



上の娘は
特に敏感で
場所見知りと人見知りも激しい。

その場の雰囲気なのか
ダメな場所は顔が強張って
何も話せなくなる。

小さな頃から
いろいろなところに連れて行っているけれど
それは変わらないので
慣れの問題ではない様子。


そんな子どもたちの様子を
生まれた頃から見守っている私。

繊細で敏感だから
本人が大変な思いをしているのを
見かけることがたくさんあった。

でも
繊細だからこそできる
人への優しい心遣いや
敏感だからこそあらわれる
感性の豊かさに
いつも感動してきた。

だからできるだけ
二人の個性を守っていきたいなと
思う。
けれど、時々
「あなたが甘やかすから子どもがそうなるのよ〜」
という言葉や目線が痛い。笑


娘が学校へ行けなくなってしまったとき
だんだん朝起きられなくなり
お腹が痛くて下してしまうようになった。
娘の様子で
無理をしすぎるくらい頑張ったんだなと思えたから
私は行けないことに納得していた。

でも学校の先生からは
「これくらいのことを我慢できないと
将来が心配ですよ!」
と、言われた。

それを聞いたとき
娘が我慢できないことを
私はまったく心配してないなと思った。

会社で働いていたとき
頑張りすぎて、無理しすぎて、
心身を壊してしまう人がたくさんいた。

世界に出れば
学校に行かなくても
自由に好きにたくましく生きている人は
いっぱいいる。

心配なのは
自分の心がわからなくなること
自分の気持ちが言えなくなること
のほう。

でも今までは
みんな同じように頑張って
我慢して
いろいろなことを発展させてきた。

だからそんな言葉が出てしまうんだなって
思った。



娘の不登校中に
いろいろな人に
そんな言葉を何度も言われるたびに
「今まではそうやってみんな頑張ってきたんだな。
ありがたかったな。
でももうこの子たちは大丈夫。」
そんなふうに思った。

そして
自分の言葉で
行きたくないって
伝えてくれた娘を
誇りに思った。




これからは
AIがたくさんの仕事を引き受けてくれて
私たち人間が担当するのは
AIができない
繊細な感性を使ってできること。

HSPと呼ばれるような
繊細で敏感な子が増えているのも
そんな時代が来るからかもしれない。

だから私たち親ができることは
そんな子どもたちの感性を
できるだけ守ってあげることだと
思っている。

息子は今年の春
幼稚園に通い始めて
ずっと嫌がって泣いていて
みんなは玄関でバイバイするのに
自分の荷物の片付けが一通り終わるまでは
帰らないで欲しいと伝えてきた。

教室の中までついていき
タオルや連絡帳が片し終わるのを見守る間
先生の目線が本当に痛かった。笑
「お母さんが離れれば自分でやりますよ」と
言われたり、連絡帳に書かれてしまったり。
先生の気持ちもわかる・・

それでも
息子が自分からいいよと言ってくれるまで
途中悩みながらも
見守り続けた。


しばらく経って
ある日
送る車の中で
「ママ、今日からもう玄関でバイバイできるよ。」
と言ってくれた。

突然のことで
びっくりしたけれど
その日から本当に玄関でバイバイするようになった。

途中先生の目線が辛すぎて
無理やりバイバイしようとしたけれど
本当に待ってあげてよかったと思った。

息子の意思を尊重して
本当によかった。

自分で納得して
玄関でバイバイできるようになって
彼もたくましくなったように思えた。


日々暮らしていれば
我慢する機会は当たり前にあって
子どもたちはいつも学んで成長している。

だから
私が一緒にいるときは
子どもたちの
繊細で敏感なところを
大切にしてあげたいなと思う。



あるとき
ドラえもんを見ていて
のび太がピンチになると
逃げて隠れる子どもたちを見て
自分もまったく一緒だったことを
思い出した。

そうやって子どもたちの
繊細で敏感なところを見守っていると
自分もそうだったことを思い出して
ほどけていくような感覚がある。

私は生きていくために
その繊細さや敏感さを抑え込んで
成長して
大人になってから
その感性を取り戻すのにとても苦労した。

その過程も愛おしいし
過去の自分にありがとうと思える。

そして
もう同じような過程を
子どもたちが経験する必要がない
とも感じる。


周りと同じようにできなくて
娘は私とべったりで
うちは大変だなと思うこともあるけれど
この子たちだからこそ
教わることが本当にたくさんある。

だから
私ができることは
そんな子どもたちを
穏やかに見守っていられるように
自分をご機嫌にしておくこと。


もう無理だーってなっても
美味しいランチでも食べれば
笑って子どもたちの帰りを迎えられる。


沖縄に引っ越してきたとき
私は体調を崩していたから
息子は夕方まで園で預かってもらっていた。

少し前の面談で
友達の輪に入れなくて
泣きながらも一生懸命頑張っていたことがわかって
(心配させないように私にはそんなこと一言も言わなかった。泣ける〜)
最近は早く迎えにいって
夕方はのんびり三人で過ごしている。

こうやって回復できたのも
幼稚園のおかげだなぁと思う。



子どもたちのこと・・
一人で生きていける強い大人になるよりも
人と助け合えるように
優しさや思いやりをもった大人になれたら
いいなと思う。


だから
お母さんは
子どもたちに
愛していることを
伝えていたら
それで大丈夫な気がする。


美味しいお茶を飲んで
甘いもの食べて
子どもたちが帰ってくる
夕方に向けて
準備万端です。





yayoi