この地球に生きる

konohoshi ni ikiru

そのままをみる

幼稚園にいるときの息子は、いつもの様子と全然違う。
周りを注意深く見て、決まっていることをきちんとこなそうと頑張っている。緊張しているのが伝わってくる。
やんちゃで人懐こくて、いつも自由で、エネルギーを爆発させている息子の姿を知っている人はきっと驚くと思う。

幼稚園の先生との面談で、息子はよく一人でいるという話になった。言葉でうまく伝えられないから手が出てしまうこともあるし、コミュニケーションがうまくとれないのが心配です、と伝えてくれた。

普段の息子は言葉が達者で、三年生の娘よりも説明が上手なほど。幼稚園であったことも詳しくわかりやすく伝えてくれる。



幼稚園では緊張しているからうまく話ができないのかもしれない。自由だけど繊細なところがある。息子の人懐こくておしゃべりが大好きな性格を知っているから、少し寂しく思ったけれど、うまく言葉にできずその日は終わった。




それから少し経ったある日。息子を迎えに行くと彼は一人で静かに泣いていた。雑巾の片し方を間違っていることを友達に指摘されたようだった。


午後は朝とは違う先生が見てくれていて、前に面談をした先生とは違うおばあちゃん先生が
「○○くんは間違ってなかったんだけどね、みんなが同じように言うから泣いちゃったみたいですよ。」
と教えてくれた。


息子は今日工作で作ったものを見せたいと言って教室に取りに戻ってしまった。


おばあちゃん先生にふと、息子は一人で遊ぶことが多いですか?と聞いてみた。
すると
「一人でいつもいますよ。彼を見てると賢いからみんながまだついて来れないのかもしれない。そういう子っているんですよ。でもそういう子ってずっとそうってわけでもないんですよ。」
と静かに話してくれた。


そういえば息子はその先生にはいろんなことをいつも話しているようだった。
大好きな電車のこと、離れて住むお父さんのこと。いつも詳しく教えてくれて、本当にすごいんですよと言ってくれた。

息子のそのままを見てくれる先生がいることが本当にありがたいと思った。
安心して話せる先生がいることが
私はすごく嬉しい。
心配しなくて大丈夫だった。




以前、ある方が自分が幼稚園生だったときの思い出を話してくれた。

いつも一人でいるのが好きだったけど、ある先生が他の子どもたちに
「なんで○○ちゃんを仲間に入れてあげないの!可哀想でしょ!」
と怒ったのだそうだ。

その日以来、可哀想に見られないように無理して他の子といるようにするようになって、そこからいろんなことが自由ではなくなってしまったと話してくれた。



世の中にはいろいろな人がいて、みんな勝手にその人のフィルターを通して人を見る。
親が子どもを見るときだって、この方が子どものためだ、とか、みんなはこうしてる、とか、いろんな理由をつけてそのままの姿を見ることができていない。

そのままをわかってくれている、見てくれている、そんな人の存在がどれほど貴重か。


沖縄に来て、沖縄の土地や自然が大好きで幸せだけど、ふと七年住んだ上越の友達たちが恋しくて寂しくなってしまうことがよくある。
でも最近少しずつ、本当の私が伝わってるなって感じる友達も増えてきて、そんなときほっとしたり嬉しかったり。
上越でもここが居場所だって感じるまで、すごく時間がかかったことを忘れていた。
時間をかけて、私をわかってくれて安心できる友達ができた。
いまいる場所でも、そうやって安心できる関係がゆっくり育っていくのかな。

そんな関係や存在のありがたさを
改めて感じる。





自分が自分を見るときも
こんな自分じゃなきゃダメだとか
こんなふうな自分であってほしいというように・・
そのままの自分じゃない自分を見ていることがあるなぁと気づく。



何も足さない、何も引かない、
そのままの自分を
そのままの目の前の相手を
みていけたらいいなぁなんて思う。






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自分で作った枠は自分で壊す

最近、、
今までチェックしていたブログが
動画でアップされていたり
友達からこれお勧めって送られるリンクも
動画だったり。

動画って早く喋ってくれ〜って思ったり
興味ないところを飛ばそうとして飛ばしすぎて戻りすぎてイライラしたり
本当に面白くないと見るのが辛くて

改めて
私は活字で情報を得るタイプなんだなぁと気づきました。
読む速度が速いせいもあると思います。

文章が純粋に好きなんです。



なので自分で書くとなると
文章としてのまとまりや美しさが気になってしまう。

ブログを書くときは何度も読み返してから
アップします。

それでも過去の記事を読み返すと
恥ずかしくて消したくなるし
ちょこちょこ書き直したりしています。笑



どんどん書きたいことも変わるし
自分のエネルギーも変わってるから
過去の記事に違和感を感じるのは仕方ない。
そう思っても恥ずかしい。

そんな感じで
書きたいことがどんどん浮かぶのに
書くことのハードルが上がっていたんだと思います。



どうしてすんなり記事を投稿できないのか深掘りしてみると、、

・自分の書いた文章が美しいか気になる
・書いたことが情報として正しいのか自信がない(ちゃんと裏が取れてないと書けない)
・波動とかエネルギーとか怪しいこと(笑)を書いちゃうと他に伝えたいことの信憑性が下がる気がする。→本当に書きたいことはほぼ波動やエネルギー、周波数についてなのに。
・どうせなら役に立つ記事を書いたほうがいい


などなどここに書くのも恥ずかしい理由が出てくる、、
全部自分が勝手に思い込んでる自意識過剰の枠ですね。



私は書くことが好きだし
自分をただ表現する手段としてブログがあります。

自分で作った枠は壊して
話すように
書きたいように
純粋なエネルギーを乗せた文章を投稿していきます⭐︎


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どんな自分でも

久しぶりの投稿です。

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春のコロナ騒動で
学校と幼稚園がお休みになり
久しぶりに四六時中子どもたちと一緒に過ごして
疲れが溜まったようで
書きたいことはたくさん浮かんでも
それを文章にしたいなと思えるまで
こんなに時間がかかってしまいました。

みんな同じような状況で
もしくはもっと大変な状況の人もたくさんいると思います。
生きるのも精一杯な人がいるのも
わかっています。

「もっと大変な人もいるんだから」
そんな言葉が聞こえてくるような気がして
疲れたとかしんどいって言いづらかったりする人も多いんじゃないかなと思います。


私は人一倍一人の時間がないとダメなタイプなようで
娘が不登校になって
一年間子どもたちと過ごしてみて
やっとそのことに気づけました。

はじめは何がこんなに辛いのかよくわからなくて、夫のせいにしてみたり、子どもたちのせいにしてみたり、学校のせいにしてみたり・・
でも沖縄に来て一人の静かな時間が一日の中で少しあるだけで、ヘロヘロボロボロだったのが、みるみるうちに元気になりました。
結構自分のことってわかってないものです。


そういえばこちらのアスペルガーのチェックリストはほぼ当てはまりました。
https://www.google.co.jp/amp/s/bunshun.jp/articles/amp/1959
でも他のサイトのチェックリストは全然当てはまらなかったりするので、そもそもひとつの病名で括るのに無理があるのかなと思いますが、「私アスペルガー気質だから」と言うとすんなりわかってもらえたりします。
そんなとき病名って便利だなと思います。

ですが、そもそも
ここからここまでが病気とか障害とか
パッキリ線を引くことに無理があると思います。

人それぞれ
得意なこと不得意なこと
その程度はグラデーションのように
濃淡があります。

人それぞれ生まれ持った性質が違うんだから
一人一人のできることや感じ方は
違って当たり前。

子どもたちを見ていても
得意なこととそうでないことが全く違って
5歳の息子は当たり前のように片付けをするけど
8歳の娘は何度言っても片付けが苦手で
でも裁縫はびっくりするくらい得意だったり
生まれ持った性質って全く違うんだなーと思います。
出来ることって年齢よりもその子の性質による気がします。


それなのに
「みんなができてるんだから」
「これくらいのこともできないなんて」
と自分を休ませることさえできなかったりしませんか?
私はそうでした。

今でも
家で休んでいると
罪悪感が全くないわけではなくて
(こんなんでいいのかなー)
(ずっとこんな感じだったらどーしよー)
とか思っちゃう自分もいます。

少し前まではなんとなく力が入らなくて
自分と家族が気持ちよく過ごせるだけの家事をして
それ以外はず〜っと
スマホで漫画を読んで
(最近読んでるのはごくせん)
昼寝をして
興味のあることを調べて
だんだん元気が出てきたら
運動して畑に行って
そしてやっと
人に会ったり出掛けたりしたいと思えるようになりました。

途中このまま毎日スマホで漫画読み続けて
ずーっとずーっと続いたらどうしようと不安になりましたが
敢えて毎日毎日思う存分読んだら
ちゃんと飽きてきて
いまは読むのは毎日少しの時間になりました。

こうやって自由に過ごせることに
本当に感謝しています。
そんなふうに過ごせない人もたくさんいるってこともわかっています。

でももし休める状況にあるのなら
自分を責めないで
人と比べないで
病気になってしまう前に
自分の感覚のまま休んでみて欲しいなって思います。

こんなに自分に甘かったらダメだとか
ずっとだらけたままだったらどうしよう
とか思ったとしても
ちゃんと休み切ったら
自分の心からやりたいことややるべきことに
純粋に力を注げると思います。

みんなが休んだら
社会が回らなくなる
と言われたことがありますが
そんなことはないんじゃないかなーと思います。

超働く人と、普通に働く人と、怠ける人の割合はあらかじめ決まっていて
それはどんな状況でも変わらないらしいです。
(それを証明する検証結果もあるので
興味ある人は調べてみてください。)

みんなが自分の意思で
心からやりたいことをやれば
パズルがカッチリはまるようになっているはずなんです。


弱い自分や頑張れない自分を許せたら
弱い人や頑張れない人を許せます。

自分に優しくできる状況の人が自分に優しくすることで
本当にしんどい状況の人にも
心から優しくできるようになるかもしれません。

この世界はフラクタルなので
自分の中が調和していれば
世界もおのずと調和します。
ゆっくり休んでいる間に
いろいろあって
さらに確信しました。


私は活動してる時と
そうでないときの差が激しいので
休みも人一倍多く必要なのかもしれません。

でも思う存分休んで
いろんなことの準備が整ったので
休んだ分思い切り動ける気がします。

できること
できないこと
休みたいとき
動きたいとき
一人一人の違いをうまく合わせて
みんなが気持ちよく生きられる世界にするために
我慢をやめること
自分を責めることをやめること
大事なんじゃないかなーと思います。

そしたら
人を責めたり
人に我慢を求めたり
そんなこともなくなるんじゃないかなって思います。

自分の弱さを許せないから
間違うのが怖いから
人の間違った行動や言動を
必要以上に避難してしまうのかもしれないなーなんて
最近のニュースを聞くたびに思います。


私は
できないことがたくさんの自分も
休みが多く必要な自分も
許すことができて
やっと心から
すべての命を大切にしたいって
思えるようになってきた気がします。



無数の並行世界があるのなら
私は優しい世界を
選んでいきたいと思います。




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戦いたいんじゃない、ただ伝えたいだけ

息子(4歳)は毎日のように、なんでなの、どうしてなのと聞いてきます。
「なんで夜は来るの?」
「なんで月の形は変わるの?」
「どうして春の次は夏なの?」
「なんで太陽がないと死んじゃうの?」
質問が面白くて、一生懸命応えています。
(たまにもう勘弁してくれ〜と思ってしまいますが。)

私も小さい頃いろんなことを知りたくて知りたくてたまらなかったです。
特に宇宙や星のことが気になって、思いを巡らせていたなぁと息子との会話で思い出します。

大人になっても、なんでだろう、どうしてだろうとよく思います。
最近、空の本質は「知りたい」という欲求だという文を読んで、すごくしっくりきました。
(空くう=全ての存在の根源と言われています)

でも純粋に「なんで?」「どうして?」と思っても気軽に言えないことが多いように感じます。



たとえばコロナについても、「どうして知り合いには誰もいないのに芸能人ばっかりなるんだろう?」とか「本当に都市封鎖って効果があるのかな?」と反対意見ではなくて純粋な疑問が湧いても、気軽に話題にしづらい空気を感じてしまうことがあります。

いまは調べる方法がたくさんあるので、情報を拾って精査して納得していますが、それは自分の中だけのこと。
話題にできない空気を感じたり、人からよく思われないようなことは遠慮して黙っていたり、そんな場面が多々あります。


私はいわゆる優等生タイプの子どもでした。
母がヒステリーを起こさないように空気を読んで発言したり、大人が喜ぶような言葉を選んだり。
そんな自分を振り返って嫌な気持ちになることもあったけれど、子どもなりに周りを気遣って頑張って生きてたんだなぁと今では過去の自分を労う気持ちです。
親や大人、周りの人に認めて欲しい、愛されたい、そういう気持ちが強かった。
そんな状況の中で、人の心を読んで求められる発言をするスキルが身についてしまいました。


震災のあと長女を産んで、今まで当たり前だと思っていたことがどんどん崩れていって、たくさんの疑問が湧きました。
常識と言われてきたことも、本当にそうなの?と改めて考えるきっかけになりました。

ひとつひとつ調べて、話を聞きにいって、自分の中で納得する答えを見つけても、それを話題にしたり伝えたりするのは躊躇してしまうことがたくさんあります。



娘はワクチンを打ったあと、何週間もうんちがでなくなり本当に悩みました。
そのときたくさん調べてワクチンの成分や副作用など知らなかったことを知りました。
もしかしたらその病気を防ぐ効果はあるのかもしれませんが、それ以上に受ける代償は大きいかもしれないと思います。そんなことを考えることもなく、「みんなが打つから」「受けろって言われるから」当たり前のように何も考えずに判断していたことにゾッとしてしまいました。

インフルエンザワクチンを摂取した年に、生まれて初めてインフルエンザになったという友人が二人います笑
それって摂取する意味あるの?って思ってしまいました。
そして日々健康な身体づくりを意識していれば、インフルエンザって全然怖くないです。むしろ高熱を出せば癌細胞は死滅するし、身体の大掃除になります。

そもそも血液に直接何か入れるのって本当に大丈夫なのかなって気になります。人間の身体のシステムは本当に精密で信じられるけれど、人間のすることは100%信用はできない・・
ワクチン作ってる会社ってめちゃくちゃ儲かってるって言うし・・
とか。ここには書ききれませんがとにかく疑問がいっぱいです。

でもただ疑問を持つだけで、「ワクチン反対派」「面倒臭い自然派のひと」なんて言われるから黙ってきました。笑

保健師さんに検診の度に怒られるし(打たない説明したらさらに怒られるし)、虐待だと騒がれるのも怖いし、わからないフリをしてやり過ごしてきました。

同じように、言っても仕方ないから黙ってる人は多いと思います。



他にもたくさん言いたくても言えなかったことがあります。

学校で毎日飲む牛乳。搾乳するために妊娠させられて、ホルモン剤を投与されて、それを繰り返したあと屠殺される牛のことを思うと切ない気持ちになります。本当にそこまでして毎日飲む必要あるのかな?好きな人がたまに飲めばよくないかな?って思ってしまいます。

でも学校で牛乳飲まなくなったら酪農家の人が仕事なくなるのかなとか、学校や幼稚園があることで助かってるし細かいこと言いづらいなーとか、息子は牛乳が好きなのでみんなが飲んでるのに飲みたいのを我慢させるのは嫌だなとか考えると何も言えなくなってしまう。


学校や保育のあり方もいろいろ思うところがあったとしても、伝えるのを躊躇してしまう私がいます。娘が不登校を経験しているからこそ、みんながただ安心して通える場所があることは本当にありがたいことだと改めてわかったし、先生たちも毎日一生懸命なことが伝わってくるからです。



病院や薬、普段はまったくお世話にならずにすんでいるけれど、保育園に登園許可証が必要ですと言われれば、病院を受診して、断るのが面倒で飲まない薬をもらってしまう。このシステムだと病院も製薬会社も儲かり続けるし、みんな何も考えずに病院行くし、でも病院と薬が必要なこともあるし・・この仕組みを変えるのって難しいんだろうなぁと思ってました。

必要な部分もあるけれど、必要のない部分も多い。一度乗ってしまうと流されるまま、そんなシステムの中にみんな生きています。

日々の暮らしの中でこういうふうに思うことが書ききれないくらい山のようにあります。



今まで空気を読んで、周りの人の気持ちを考えて、批判されるのが怖くて、言えないことがたくさんありました。
なんだかそういうことが苦しくなってきました。

いろいろな事情があるかもしれない、発展のためには必要なことだったのかもしれない。

戦いたいわけじゃない。
ただ自分の中で純粋に沸いた思いや疑問をなかったことにしたくないだけなんです。本当のことを知りたいし、わからないまま、よくないかもしれないことを子どもや自分にしたくないだけなんです。

私たちが死んだあとも、子どもたちや孫たちその先に続く命が幸せに生きられるようにできることをしたい。

子どもたちの純粋な疑問に応えていると、たくさんのことを思います。
「なんで」「どうして」に可能性を感じます。



コロナをきっかけに変えなきゃいけないことがたくさん見えてきて、今まで簡単に変えられないと諦めていたことも諦めなくていいのかもしれないと希望を感じています。

自分と違う意見があっても、自分と違う考え方の人がいても、戦う必要なんてないんだと思います。
自分で考えて感じて決めること、選ぶこと。諦めたくないし、同じように違う選択をする人も尊重したい。

だからもしこれを読んでくれた人がワクチンを打っていたとしても、毎日牛乳を飲んでいても、否定したいわけじゃないんです。戦いたいわけじゃないんです。

ただそんな選択もあるんだね、そんな考えもあるんだね、そんなことに疑問を持つんだねってまずは受け止めてもらえたら嬉しいなって思います。

「今までありがとう、私たちが進化発展するのに必要でした。でももう大丈夫です。」
今までのシステムを、そんな気持ちで終わらせて変えていくときが来ているのかもしれません。







使うだけで環境浄化に繋がるそうで、ずっと使っている洗剤です。↓
我が家は洗濯一回につき、お風呂の残り湯洗面器一杯分にスプーン一杯のえみなを溶かして使ってます。なるべく水を汚さないで生きたいなぁと思います。


「万能粉石鹸」えみな-premium-

コロナで思い出した出来事

コロナが騒がれるようになってすぐ、
「マスクしてないやつは電車に乗るな」
というツイートをみてドキッとしました。

311(東日本大震災)からのいろいろなことを経験する中で政府やマスコミからの情報は正しくないことが多々あることを嫌というほど知りました。
なかには善意で誤った情報を流していた場合もあると知ったけれど(本当の情報を流すと国民がパニックになってしまう)
どちらにせよどんな情報が流れてきてもまずは本当に?と思う癖がついてしまいました。

なのでコロナの話もまずは本当かどうかわからないなーという気持ちで様子を見ていたら、そんな反応をする人がいてドキリ。

「そんなピリピリしたって仕方ないんじゃないの?」
と一瞬思ったけれど、震災後の放射能を気にしていた自分を思い出しました。

当時、私は目に見えない放射能の影響が怖くて仕方なかったです。それなのに何もなかったかのように普通に暮らして、普通に食べている人たちに対して怒っていました。

マスクをしないで何事もないかのように振る舞う人に対して怒る人。それは過去の自分。そう思ったら、恐怖も怒りも否定できないです。

思う存分怖がって、怒って、本当のことを知りたいと思えたから今の自分がいることを改めて思い出しました。


先日、飲食の仕事をする友達が
「死ぬのも怖くない、病気になるのも怖くない、じゃあなにがこんなに怖いんだろうって考えたら人が怖いんだって気づいた」
と話してくれて、私もまったく同じ気持ちだと気づきました。


人が怖い、で思い出した体験・・それは娘が幼稚園に通っていた頃、シラミになってしまった体験。

(当時一緒に幼稚園に通っていたお母さんの皆様、ドキドキさせてごめんなさい。笑
私の中ですっきり消化できている体験なのでシェアさせてください。)

入園してすぐ息子が生まれたあと、
里帰りしなかったので娘は友達に送迎をしてもらって幼稚園に通っていました。

ある日、娘の頭にシラミが見つかったと連絡がありました。
幼稚園の受付的なところには○○ちゃん(うちの娘)の頭にシラミが見つかりました、と書いてあったと友達が教えてくれました。

全部で15名前後の少人数の園だから隠しても仕方ないことだとはわかっていても、ショックでショックで。自分がちゃんと気を付けていなかったせいで、園のみんなに迷惑をかけてしまったとかなり落ち込みました。
(今思えばそんな大袈裟な、、と思うけれど、私も幼稚園もシラミ初体験でした)

しかもそのあとスタッフから
「○○くん(当時赤ちゃんだった息子)を幼稚園の座布団に寝かせるのもシラミが気になるという保護者がいます。」
と伝えられて、さらにショックを受けました。

こんな少ない人数で、毎日全員で顔を合わせているのに直接言ってもらえないんだ、、
そんなふうに思うと、誰が言っているかわからないので園の保護者全員がそういう目で見ているように感じてしまいました。

産後すぐでナイーブだった私はとにかく落ち込みました。
下の息子も生まれたてで大変な中、娘は園を休ませて、目を使うのはあまりよくない時期なのに必死で毎日シラミを探して、、
いま思い出すとあれは本当に辛い日々でした。

市から派遣された産後ヘルパーさんがたまに食事を作りに来てくれていたのですが、
「うちの息子も保育園でシラミよく出てたけど、そんなに大騒ぎにならないし、別に休ませなくてもよかったけどねぇ」
と話してくれて、普通の保育園か幼稚園に通わせればこんな思いをしなくてよかったのかも
とまで思ってしまいました。

森のようちえんといってもいろんな人がいたので、ホメオパシーや自然療法を普段使っていることも堂々と話せてなくて、シラミのときはなんとなくそういうのが後ろめたかったです。
湯シャンしてるからシラミになったんだって言われたらどうしよう、、とか。
(シラミは不潔だからなるわけではないですよ〜念のため。)

とにかく幼稚園のみんなが怖くて、誰も信じられなくなって、産後のナイーブな精神も手伝ってボロボロになり痩せ細りました。
でもそのときに家に来てくれて励ましてくれた友達とはいろいろな話が出来て、この事件で逆に仲が深まりました。

園長先生から言われた言葉には正直たくさん傷つきました。笑
でも時間が経って、冷静に振り返ることができるようになって、心から理解することができました。
やっぱり立場が違うと、しなくてはいけないことも変わってきます。全体を動かすためには仕方ないこともある、、それを私が腑に落とすことができているのはこの体験が大きい気がします。

そして冷静になってから、スタッフを通して意見を言ったお母さんやシラミを怖がってたお母さんの気持ちも理解できました。

始めの対応についてもスタッフから何度も謝られて、こちらも切ない思いをしました。
誰だって失敗するし、初めてのことは戸惑います。
そう思うとウイルスによるパンデミックも初めてのことで、どんな対策が正しいかは後にならないとわからない気がします。


そんなこんなで幼稚園でのシラミ事件を通して、たくさんの学びがありました。
直接話さないと伝わらないこと、正しい情報が伝わっていないと誤った噂で人を傷つけてしまうこと、、。
やっぱり言いづらいことでも伝えたいことは本人に自分の言葉で伝えようと思うきっかけにもなりました。

あのときはみんなにどう思われるか怖くて自分の思いを伝えられなかったけど、ちょっとたくましくなったので、いまは自分の思いを言葉にすることができます。そんな騒ぐほどのことじゃなかったよって笑

ちなみにそのあとはシラミのことはだんだん忘れて、この幼稚園に通えてよかったと思えるくらい素晴らしい三年間を過ごしました。

シラミとコロナでは全く違うので、比較にもならないと思いますが
(不快になられた方がいたら申し訳ありません)
あのとき感じた恐怖や不安を思い出すと、コロナに罹ってしまったことで周囲の目に苦しんでいる方はどんなに辛い思いをしているんだろうと思ってしまいます。
でもコロナに罹ってしまった人は何も悪くありません。辛い思いをした人を労ることができる人でありたいです。

また、お互いがお互いを監視し合う空気は正直苦しいです。

信頼できる情報がどれなのかわからないまま何かを強制されることも、それぞれが判断することも難しいと思ってしまいます。

それでも、どんな状況でも、
自分のことは自分で考えて自分で決めたいです。
そして同じように人の考えや決めたことを尊重できたらいいなと思います。


みんなが初めての体験で
戸惑いがあり
いろんな意見があり
角度を変えると様々な見方ができます。

でもどんな出来事も
(たとえウイルスが人工でも自然なものでも)
宇宙が許可して起こってることなので
私たちに必要で起こっていることだと思います。

いま怖い人は自分がなにを怖がってるのかを知ることができる機会です。
私もいろんなことを怖いと思うたびに
たくさんのことに気づけました。

人を責めることなく
人のせいにすることなく
自分の生命を責任持って生きていこう
そう思います。

真の自由ってなんだろう・・
最近よく思うことです。

普段から買い物にはあまり行かず
出かけるといえば自然がある場所だったので
殆ど変わりなく淡々と日常を過ごしています。

コロナで気付くこと
本当にたくさんありますねー!
早くいろんな人と会って話せるといいなぁって思います。



立体的に 奥まで見据えて

最近よく
フラワーオブライフ を綿棒で作った立体を見たときを思い出します。
はじめてみたときは衝撃でした。

(平面だとこの形)
エジプトの神殿の壁に描かれていたり
狛犬の持つ鞠もこの形だと言われています。


角度を変えてみると
まったく違う形に見える。
光を当てて影を作ると
角度を変えれば影もまた違う形に変わる。

ひとつのことも
角度を変えれば
見方を変えれば
まったく違う現象が現れる。

表面だけではわからない
奥をみる
その先をみる

そんな言葉が胸に響きます。





私は情報収集が趣味というかクセなので
こんな状況だといろいろな人からの情報を集めようとしてしまいます。

影響力のある人や
普段から信頼しているような人が
「え、そんな発言するの?」
「そんな情報シェアしちゃう?」
みたいなことがあって
(私の感覚です)
正直モヤモヤすることもあります。


震災、原発事故があって
それから様々な情報に触れて
知りたくなって調べて
いろんな学びがありました。

そこで学んだことは
普通に暮らす私たちにはわからないことが
たくさんある、です。笑
いいことも、悪いことも。

表面的には悪いことに感じても
地球規模で、宇宙規模で、
過去未来を含めて、
そんな視点でみると必要なことの場合もある。

国を動かしたり
地球全体を動かす人は
そんな視点で様々なことを扱っているんだと思います。
表面に出てきている人だけが
動かしているわけではない場合もあります。

抽象的でごめんなさい。
中途半端に情報をシェアすると
またいろんな意見があると思うので。

だから起こったことに
出どころがわからない情報に
いちいち振り回されなくていい
と私は思います。

自分という存在が
愛と調和の存在であること。
シンプルだけど
そこに集中するだけだと思います。

情報よりも
まずは自分の感覚を信じます。




日常で
自分の思った通りにことが進まなくて
あまりいい状態・気持ちじゃないと思ったとしても
すぐに判断するのではなくて
静かにその状況に対応して
待ってみたほうがいい。
あとから思うと
そうしたほうがいい場合が
よくあります。


春分の日
夫にルートを任せてなにも考えずに登山に行ってしまって
あまりにも辛すぎて
春分点にどこにも着かなそうで

「息子と二人で車で行けばよかった」
「いつも登山してる夫に任せるんじゃなかった」
「いまからでも引き返してバスとケーブルカーで行こうかな」
「もう諦めて座りたい」
と、思考が駆け巡り。
ときどき夫へのブーイングが口から出てしまう。


でも心のどこかで
きっと大丈夫
このまま様子を見てみよう
と浮かんだので
なにも考えずに登り続けました。

すると
絶対に無理だと思っていたのに
春分点には天狗岩の上に到着して
会えないと思ってたはずの友達にも夕方会えてしまいました。

あそこで引き返していたら
そんな結果にはならなかったと思います。



自分にとっていちばんいい状態や望む状態に向かうための最短コースは
想像もしていなかったような
自分にとって良くない状況だったり
やめてしまいたくなる状況だったり

そんなことが今まで何度もありました。



でもそれを超えるたびに
表面だけじゃなくて
角度を変えながら
奥を見据えながら
淡々と対応していけば
きっとたどり着く。

そんなことがわかりました。



望む状態にいくまでの経過は
私たちの常識を超えた道のりである場合が多いです。

自分の小さな頭では思いつかないような
常識で判断していてはたどり着けないような

宇宙は
全てを超えた道をいつも用意してくれます。


何度も何度も体験してわかったので
もう大丈夫です。


これから様々なことが起こって
いろいろな感情が湧き上がり
困難な状況になることもあると思います。

でも現にコロナウイルスの流行で
一人の力では到底変えられなかった
様々な地球の問題が実際に改善されていくきっかけになっています。

そのためにいろいろな痛みも
起こっていることはわかっています。

だけどコロナウイルスが流行する前から
毎日たくさんの人が飢餓や紛争で亡くなっています。
それがわかっていたのに
何もできていなかったんです。

なにかを変えることができている
それは凄いことだと思います。
 

ずーっと奥を見ていくと
この先にあるのは
地球は愛と調和の星になる
ということ。

その道の途中にいると思うと
いろいろなことが見えてきます。



ただポジティブに捉えるわけではなくて
自分にできる目の前のことをやる
感覚を信じる
表面だけで判断しない
そんなことが響いています。

情報が必要ない場合もあります。
でも振り回されるくらいなら
直感に従って行動したほうがいい場合もあると思います。

直感を磨くために
自然の中でチューニングすること
すごく大切だと思います。


そして情報を持つことが優位なことではなく、それをもとに何か行動できることで情報の意味があると思います。

伝えたいと思う人に
愛を持って伝えてあげられたらいいな
と私は思ってます。


春分を超えて

息子が幼稚園に行きたくないと言い始めて
コロナのことで学校が休校になって
随分とあいだがあいてしまいました。

そのあいだも
たくさん書きたいことが湧き上がって
でも書けなくて
(静かな場所で一人じゃないとどうもまとまらないのと、子どもたちと一日いるとヘトヘトになってしまうので)

やっとこうして書こうと思えて
なんだか嬉しいです。

週末は明石の夫の家にいき、
兵庫で過ごしました。

21日に
ある方にお会いする機会があり
お話しさせていただくことに。

その中で
手を組んでどちらの指が下になるか
腕を組んでどちらの腕が下になるか
を見ることで
インプットとアウトプットが
左脳優位か右脳優位かがわかる
というお話になりました。

私はin右脳out左脳だったのですが
そういう人の特徴を聞いて
そのまま私のことでびっくりしました。

なにかを取り入れようとするときは直感に従う。
だけど直感で興味が持てなければ
見向きもしない。

どんなに素晴らしいと思っていても
あるときピンとこなくなったら
バシッと終わりにして
なかったことにできる。

アウトプットするときは
しっかり根拠を持って理論的に説明したい。



まさに!そうなんです。

直感でいいと思うものを取り入れる。
そして納得いくまで調べて
体験して実験して
自分の中では完璧に信じ切れているのに
それを誰かに伝えるときには
データが足りないかなとか
順序立てて理論的に説明するのはまだ早いな
とか
いろいろなことを思ってしまうので
なかなか発信ができない。

これをもう少し掘っていくと
やっぱり怖さがある。
批判されること
肩書きもないのにと思われること・・

自分に対してそう思うってことは
誰かに対しても同じ。

自分で選択して
納得して
最高な状態でいると思えるのに

他者との関わりを考えたときに
働いていないことや
社会的な肩書きがないことに
申し訳なさみたいなものがあったんだな
と自己分析して気づきました。

子どもたちがいて
成長を側でみていたくて
自分の感覚のままに生きることをしたくて
それができる環境で
サポートしてくれる人がいて
それなのに自分だけが後ろめたく感じている。

まだまだそんなものが
残っていたことに気がつきました。



肩書きや権威に関係なく
どんな人も表現することが許される
そんな世界を望んでいるのに
自分がそれをすることを否定してたら
そんな世界は実現しない。

改めて気づけてよかったです。



その方のお話しだと、
自分がどちらの脳を優位に使ってることを知ることで補完することができるという話でした。


私は様々なことを直感で受け取っていて
本当はそれを
そのまま表現したいときがあります。

そしていま起きている事象に対して
データを取り根拠に基づいて説明できることを待ってから実践するには
あまりにも遅すぎることが多いことも感じています。


研究してデータを取って
理論的に説明することはもちろん必要。
でも直感で受け取り
実践して感覚で進めていく。
それもとても大事なことだと思うんです。


私が感じていること、体験したこと、
たとえ根拠が説明できなくても
データがなくても
伝えていきたいと思うことは
表現していきたいなと改めて思いました。

春分の日
起きてからすごくエネルギーが変わった感覚があり
朝から幸せで軽やかな状態で驚きました。

実は21日に用事があって
明石に戻ることはずっと前から決めていて
春分は六甲で過ごすためだというのが
直感であったのですが
(ある友達と六甲比命の磐座にいるところが浮かびました)
正直、関西に行くことはあまり気乗りしてなかったんです。

でも起きたときに
ちょうど日の出の瞬間で
パーっと気持ちが晴れて

庭に出たら
一年前に植えたミモザが満開なことに
気がつきました。

明石に住んでから
庭がある家が嬉しくてミモザを植えたのですが
そのあとたくさんのことが起こって
しんどい状況も続いて
明石ではあまりいい思い出もなくて
ワクワクした気持ちで生活を始めたことを
すっかり忘れていました。

引っ越してからの日々を思い出して
悪いことだけではなくて
いいこともたくさんあったことを
思い出しました。


3月20日は結婚式を挙げた日だったのですが
ちょうど10年前だったことも思い出して
なんだかものすごく感慨深い気持ちになってしまいました。

すると六甲比命の磐座に一緒にいるところが浮かんでいた友達(茅ヶ崎在住)から連絡が。

用事で実家のある神戸に向かっていて
その途中で六甲に寄ろうとしている
という内容でした。
びっくりしたけれどきっと会える気がする、、
お互い家族と一緒なので
時間と場所の約束は特にしないまま出発することに。


春分点に六甲比命あたりにいたいなー
ということを夫に伝えて家を出ました。

Twitterを見ていたらその流れで
なかなか予約が取れないプリミ恥部さんの
遠隔宇宙マッサージを受けられることになり
それがちょうど六甲へ向かい登り始めるタイミングでした。

(プリミ恥部さん=宇宙料金でマッサージをされていて、書籍も何冊か出版されています。音楽活動や舞も。)


まずは天狗岩という場所を目指して登り始めたのですが、
運動不足の私はしんどくてしんどくて。

普段登り始めてる夫にルートを任せるんじゃなかった
私と息子で車で向かえばよかった
とか後ろ向きなことも浮かびながら

でもやっぱり
きっとこれでよかったと
あとから思えるんじゃないかな
とも考えながら

(たまに夫に文句を言いながら)
とにかく必死で登りました。


フラフラになりながら
春分点の3分前に天狗岩に到着。

磐座の上に登って
家族で手を繋いで
世界中でお祈りしている人と繋がるイメージで瞑想しました。


天狗岩は気持ちが良くて
疲れすぎて動けなくて
しばらくその場でゆっくりしました。

携帯を見ると
山の中なのもあるのか
友達からの連絡はなくて
まあ会えなくても近くにいるだけで
すごいことだよなぁ〜なんて思いながら
また歩き始めました。


あまりにも疲れてしまい
六甲比命神社に行く気力もなく
子どもたちとの約束だったロープウェイの駅に向かいました。

駅が近づくと
夫が
せっかくだから六甲比命も行こうよ
と言ってくれて
迷ったけれどなかなかない機会なので
フラフラになりながら磐座に向かうことにしました。

子どもたちのブーイングを聞き流しながら歩いていると友達からメールが。

なんと近くまで来ていると。

「いま六甲比命に向かってるよ」
とだけ送って歩き続けました。


磐座と神社を参拝して
戻ろうとしたときに
やっぱり!
友達に会えてしまいました。



彼女とはじめて会ったのは
去年の夏至、六甲でした。

人混みで目があったとき
懐かしくて不思議な気持ちになったのを
覚えています。

同じ場所で
またこうやって会って一緒に過ごせるということは
縁が深いのかもしれません。


まさか〜と思ってはいたけれど
心の中ではきっと会えると信じてました。



最高最善のタイミングで
自分にとって必要なことが起こることを
信頼している

この感覚は最近の私にとって
すごく大切な感覚です。

無理やりに動かそうとするのではなくて
流れに沿って
直感を大切にして
動くこと。

自分と
自分以外のすべての存在が
チームワークのように
呼吸を合わせて
何かを起こすことで
あらわれる。


まだ言語化するのが難しいけれど
そんなふうに
すべてのことを捉えて
動いています。




友達と二人で過ごして
入り口の方に戻ると
友達の家族と私の家族が
楽しそうに過ごしていました。

ロープウェイの駅まで車で送ってもらえて
会えるタイミングから何から何まで
全てがパーフェクトにうまくおさまりました。


ロープウェイで有馬温泉に向かい
ゆっくりお湯に浸かり
明石に戻って
明石焼のお店に入り
ビールと明石焼とたこ飯で
結婚記念日をお祝いしました。


嬉しくて幸せな気持ちで
春分の日が終わりました。


エネルギーが変わった
とか
意図したことは現実に起こる
とか

根拠がなくて
伝えるのに勇気が必要で
今までだったら言いづらくて
書けなかったです。


でも感じることは自由だし
アウトプット左脳派の私が言うのだから
激しくそう感じたということです。


自分の思っていたのと違う状況になって
感覚的に違和感を感じても
過去の経験や表面に起こっていることだけで
すぐに判断してしまうのではなくて

その奥にある何かを感じること
何か到達する一点があるとして
そこへの想像を超えた近道かもしれないこと

そんな気配を感じながら
淡々と状況を眺めることも必要だと
感じています。

それとは逆に
引き際を感じたときは
瞬発力が大事なときもありますが・・

何よりその見極めが
さらに必要になっていく

そんなことをひしひしと感じた
春分の日になりました。

まずは意識を向けることが
一歩になります。



説明するには曖昧だけど
自分の中でしっかりと確信していること
そんなことも少しずつ
伝えていけたらいいなと思います。



次の日インスタを見たら
一年前の今日の投稿が上がっていて
プリミ恥部さんと私と子どもたちが写っている写真でした。

ちょうど去年の春分
奈良の飛鳥でプリミ恥部さんのライブに参加してマッサージをしてもらっていたのでした。


全てが繋がっていて
そのときは全てを理解できなくても
時空を超えて伏線を回収していく。

面白い世界に生きています。


プリミ恥部さんから頂いたメッセージ
貼らせていただきます。 


とっても大事な
春分点のタイミングを
宇宙マッサージLOVEとも
ご一緒できて
うれしいです✨
そのポイントが地球中にも響くようにいつもしていますが
弥山山頂にいた方もいて
このタイミングでの
六甲山での
宇宙マッサージは
ほんとに地球や宇宙にとっての
意味があったとおもいます✨
ありがとうございます✨💓




ちょっと不思議な話も書きましたが
読んでくださりありがとうございます。


何度読み返しても
新たな発見のあるプリミさんの本はおすすめです。

宇宙料金でされている活動も
とても影響を受けています。


愛を味方にする生き方 人生があがっていく宇宙マッサージ


地球の新しい愛し方―あるだけでLOVEを感じられる本


プリミ恥部さんのTwitter