この地球に生きる

konohoshi ni ikiru

ぜーんぶ自分だった

昨日の投稿で
娘を送るときの朝の散歩が気持ちいい
と書いたけど

体調が悪かったり
忙しかったりすると
途端に
「小学校くらい自分で行ってよー!」
と言う言葉が出てくる。

何かで頭がいっぱいなときは
夕日なんて見てる暇ないし
と思う。笑

私は切り替えがうまくできないから
自分のコンディション次第で
すべてが変わってしまう。

それがわかってるから
いまは何より自分を整えることを
大事にしています。





体調が悪かったら寝るし
行きたくなかったら行かないし
やりたくなかったらやらない。

それは私のためだけど
家族のためにもなることがわかった。

子どものために、も
やりたくないことはやらない。
全部私がやりたいこと
私がしてあげたいこと
それだけをやる。

子どもの未来のために
子どもの健康のために
そう思ってやってたことも
ひとつひとつ確認したら
ただ私がやりたいこと
私がやって心地よくなることだって
気づいた。



自然な子育ても
自然な暮らしも
私が心地いいから
そうしたいから。
できないときはやらない笑


前は
こうしなきゃ
これはやったほうがいいから
自分の勝手な思い込みで
疲れて
体調崩して

全部自分のせいなのに
人のせいに感じちゃって
不機嫌になってたんだなぁと思う。


勝手に思い込んで
やりたくないことやって
勝手に怒って疲れて
そんなことをやるのはもうやめました。


元々料理が大好きだったのに
夕飯を作る時間には
いつも疲れてて
たまに座ってチョコをかじっては
頑張って料理していた。

好きで始めた
精米や土鍋炊きも
習慣になって
やるのが当たり前になって。

疲れても時間がかかっても
料理をするのが当たり前になっていた。



沖縄に住みはじめた頃
溜まりに溜まった疲れが出て
しばらく料理をやりたいと思えなくなった。

お弁当やお惣菜を食べて
買ったご飯が飽きたら
毎日のようにひき肉ご飯。卵かけご飯。

子どもが生まれてから
ずっと
自然な調味料で
丁寧に料理するようにしてたから
この体験はなかなか新鮮だった。笑

両方体験したら
どっちでもオッケーになって
今はまた楽しく適当に
料理ができるようになった。

ご飯は炊飯器で炊いても美味しいし
土鍋で炊いたらさらに美味しい。
それだけのことでした。



沖縄にきてから
夕方の時間
ご飯は適当にして
公園に行ったり海に遊びにいくようになって
夕日を見たときに

あ〜こんな美しい時間を
私は知らないで毎日過ごしてたんだなー
と思った。



やらなきゃいけないことなんて
ひとつもない。
私がやることは
全部自分が決めていい。

そんな単純なことが
わかってなかったなぁ。




私が幸せで
いつも感謝して
夫のおかげでこの生活ができてます
と心からそう思って伝えると
夫も喜んでくれる。

寂しいこともあるだろうけど
(今は離れて暮らしてます。)
怒って疲れて
私が文句を言ってたときよりも
仲良くなった。
またいろんな話ができるようになった。


みんながやれていることを
「私はやれない」っていうのは
勇気がいったけれど
勇気を出したら
全部が変わった。

離婚も覚悟で
むしろ離婚したいって話して
全部破壊する覚悟だったけど
破壊するどころか
前よりいい感じの家族になった。
(渦中は修羅場でしたが・・)


考えが甘い
とか
夫が優しいひとだから
とか
言われることあるけれど

みんなそれぞれの設定で
事情も違って
考えてたって何も変わらないし
人に聞いてもわからない。
だったら
自分の感じたまま
とにかくやってみるしかない。

やってみてダメだったら
また他のやり方を試せばいい。

必要なのは
行動する勇気、それだけでした。



前は感謝が足りないってよく言われてたけど
湧いてこないなら仕方ない。
それなら感謝できるような状況に
自分がなればいい。

いまは嘘じゃなく
心から
感謝の気持ちが湧いてきます。

全てが当たり前じゃないんだって
そう気付いてしまったから
もし心がまた揺さぶられても
自分の真ん中に戻れば
きっとまたありがとうが湧いてくる。


本気で
やりたいようにやる
生きたいように生きる・・
自分の魂のままに生きるのは
わがままな生き方になるのかと思ってたけど

案外
家族にも地球にも
優しい生き方に近づいているかもしれない。






昨日の夕日も美しかったです。



Yayoi

どん底体験はギフト

娘を小学校の途中まで歩いて送るのが
毎朝の幸せな時間。

大好きな南国の緑と、
朝の気持ちの良い空気。
御嶽や湧水にご挨拶しながら歩く。

全てが気持ち良くて、
毎朝幸せな気分で始まるのが嬉しい。


アパートのベランダや駐車場から、
夕日を眺めるのも毎日の幸せな時間。

毎日違う空を眺めながら、
海や街を眺めながら、
やさしい気持ちで一日が終わっていきます。

子どもたちが小学校と幼稚園に通っている間
一人きりでご飯を食べたり
コーヒーを飲んだり
そんなときに超幸せを感じる。

久しぶりに一人の静かな時間が訪れたときは
涙が出るほどありがたかった。

娘が不登校にならなかったら、
こんなふうに毎日のことに
幸せを感じられなかったと思う。


娘が不登校だったのはたったの一年。
でも慣れない土地で
まったく自分の時間がない毎日が
しんどくてしんどくて仕方なかった。
「ママを一人にしてくれ〜」
と泣きながら子どもたちに訴えたこともある。
大変だったなー。

でもどんなに大変でも
どこかに
絶対大丈夫があった。

目の前のことに振り回されて
感情的になっている自分を感じながら

今よりよくなるために
全てのことが起こっていると
信じられた。

どうしてそう思えるんだろう。
考えてみたら
やっぱり思い浮かんだのは
死んでしまった父のこと。

七年前
大好きな父が突然自殺してしまった。
そのすぐあと
祖父まで同じようにして逝ってしまった。

あのときは何が起こったかわからなくて、
受け入れられなくて
母を恨んで
放射能を理由に関東に近づかないようにして、
いろんなことに蓋をするしかなかった。

ちゃんと向き合ったら
壊れてしまいそうだったから。

友達が心配してくれたり
お線香あげたいって言ってくれても、
どんな顔して会ったらいいかわからなくて
断って距離を置くしかなかった。

でも、あれから
いろんなことの捉え方が変わっていった。
どんどん本当の自分に戻っていく
きっかけになった。

「どんな死に方をしても
親の死はギフト」
信頼するホメオパスさんの言葉。

子どもの生と
親の死。
それがなければ、
私はなんとなく
それなりに生き続けていた気がする。


時を経て
少しずつ癒やされていくのは感じてたけど
自分以外の誰かに話すことはなくて
なんだか心の奥に重いものをしまっているような感じだった。
罪悪感、申し訳ない気持ち・・




沖縄に住み始めてからある日
不食の弁護士・秋山義胤先生のワークショップに参加して
お昼をご一緒させていただいたことがありました。

そのとき秋山先生が話してくださったのが
「これからは家族の自殺ももう隠さなくてもいいんです。オープンにすることで誰かが軽くなりますよ。」
という言葉。

私の事情は知らない先生からのお話。
なんだか扉があいた感じがして
すごく軽くなった瞬間でした。



いまも思い出して悲しくなってしまうこともあるけれど
やっぱり見守ってくれるのを感じるし
とにかくありがとうと伝えたい。


私が素敵だなと思う人は、
実は結構大変な経験をしてる人が多い。
一度死んだことがある人が何人もいる。笑

でもそんなこと忘れたかのように
みんな軽やかに生きている。

どん底を体験しちゃうと、
大変なことが起こっても
来た来た〜!と喜んじゃう変態な自分がいる。
次にどんなステップアップがあるのか
楽しみにしちゃうような。


当たり前に起こることに、
心から感謝するのって難しい。
そんな未熟な私のために
いろんなことが起こる。
それを望んでるのは自分なんだなって思う。

どん底な体験なんてなくても
毎日に幸せを感じられたら
それも最高。
どちらもオッケーだと思います。





もうこれからの子どもたちは
敢えてどん底を経験しなくてもいいんじゃないかな。
もう今までで十分経験したから、
はじめから調和の世界を生きてほしい。



父の命日まであとちょっと。

お父さんありがとう。
私を側で見守ってくれた
子どもたちと夫にもありがとう。

あのときの私に
大好きな沖縄に住んでるよって伝えたら
驚くだろうなー。


そういえば父が亡くなった後
少ししてから沖縄に来て
今の家の近くの海や御嶽で過ごしてたことを思い出した。
あのときはこの土地に住むなんて
思いもしなかったなぁ。
本当に沖縄の土地には癒されてばかりです。



今日の夕日も綺麗でした。



yayoi

時間は未来からも流れている

前にRieさんから
「今起こってることは、誰がそうさせてるんだと思う?未来の自分だよ」
というような言葉をかけてもらったことがあった。

Yuraiのえまさんも
「時間は未来からも流れてるんだよ」
と伝えてくれた。

そのときは、その言葉の意味がよくわからなくて・・・


(過去・現在・未来はすべて同時にあるようです。Dr.ドルフィンこと松久先生の説明が一番私にはしっくりきました。)



多次元パラレル自分宇宙: 望む自分になれるんだ!



新潟に住んでいるころからフラが好きで、
どんとさんの「波」で踊る「波フラ」に何故だか惹かれて、いろんな人が踊る動画を見ていました。
その中で特に気に入っていつか踊りたいなぁと思って見てたこの動画。




そして今日、久しぶりのフラのレッスンでした。
曲はラビラビのsong of the earth。

沖縄に引っ越してきたころ、
お世話になっていた大好きな踊りの先生が
私と入れ違いで沖縄から山梨へ。

そこで私の好きなラビラビの曲で踊るレッスンがあると紹介してもらい行ってみると、
なんと先生はあのお気に入りの動画で踊っていたYuuちゃんだったという。
しかも超近所で子どもたちは同じ小学校。

あの動画を見つけて気に入ったのは、この未来が待ってたからなんだ!
と繋がった瞬間だった。


そして動画で唄っているちーこさんも
ご近所だということが発覚。
瞑想会に参加させてもらったり、お世話になっています。夏に近所の小さなお祭りで、ちーこさんの唄で踊ることができたのは、とても嬉しかった出来事。

「時間は未来からも流れている」の言葉を体感を伴って腑におちた体験だった。



この体験の他にも
何年も前に別々に知り合った人たちが繋がって
「あのときのあの人がこんな場所で?」
「あの人とこの人が繋がってたとは〜!」
沖縄に来てからはそんなことの連続です。


閃きや直感からくる願望は、
未来からのメッセージで
行動すれば叶うしかない。



今日はYuuちゃんと2020年のこれからの話をして、受け取ってること、やろうとしてることに共通点がたくさんあって嬉しかった。

そういえば昨日、
友達がシェアしてくれた自分ビジネスの話とも共通点がたくさんあった。

宇宙・地球・星々の動き
過去未来現在

あらゆるものから
みんなが何かを自然に受け取っている。
エネルギーを感じている。

それを気のせいにするのも、
キャッチして行動するのも、
自分次第。

そんな話を普通に話せるようになってきた
もう隠していられなくなった
そんな2020年のエネルギーを感じる今日この頃です。

新潟の友達はこれを読んでるかな?
Song of the earthをみんなと踊りたい。
踊りましょう!


アメブロが読みやすい人はアメブロでどうぞ


yayoi

本当の自分ってなんだろう

自分に向けて書く

他人の目を気にしない

そんなこと書いてるそばから、自分らしい文章ってどんなだろう、とか他の人のブログを覗きに行ってしまうわたし。


はてなブログなのか

アメブロなのか

悩んで

結局どっちにも同じものを投稿するということに落ち着いたわたし。

(気にしないどころか、気にすることしかしてないじゃんという自分からの突っ込み)

 


でもそんなことをぐるぐる考えてたら

そんな自分も認めてあげようと思えました。

否定するからややこしいことになるんだよね。

在るんだから仕方ない。

 

f:id:pananufa14:20200122170242j:image


私、優柔不断で迷いやすいけれど、

実は人に相談して何かを決めたことって

一度もない。

 


相談しているようで、

アドバイスなんてまったく求めてない。笑

 

今までは悩んで迷って

困っているフリがしたかったんだと思う。

 

 


私が欲しいのは

判断するための情報やヒントだけ。

そして実はもう悩みはじめたときに

肚は決まってるのを知っている。

 


自分に集中したいから過去の自分に向けて書こうという前提なだけで、読んでくれる人がいるからブログというものが成り立っているのは知っている。

 


それでも、やっぱり、

自分に向けて書くという設定で

自分の深いところにアクセスしたい。

 

f:id:pananufa14:20200122170339j:image

 


書きたいことが、

何年分も溜まりに溜まって、

身体の中で破裂寸前。

 


出そうとすると、

絡まり合ってこんがらがって出てくるので

整理中です。

 


自分がどんな人かって

実はちゃんとわかってなかったりする。

みんな、わりと、そうだと思う。

 


こうありたい自分と

本当の自分。

 


昨日友達と自分ビジネスの話のシェアをして

本当の自分でいたい、

本当の自分をださなきゃ

そう思っていたけれど。

 


こうありたい自分になるために努力した自分も素敵だな、頑張ったね、って思えた。

 


でもそれを分かった上で、

本当の本当の自分を掘り起こして、

その姿をあらわしたい。

 


そんな衝動に突き動かされています。

 

アメブロが読みやすい人はアメブロでどうぞ

 

 

yayoi

 

 

はじめます

2011年、娘が生まれた年。

東京で会社員をしていた私が
夫の転勤で新潟に引っ越して
それまでの人生とは全く違う人生が始まった年です。


とにかくいろんなことがあって、
変化して、思い出して、
生まれ変わった私。


この過程で受け取ったこと、
変化した自分が思うことを
書きたい。
そう思って何度かブログを書いてみたけれど、
どうもしっくりこなかった。


どうしたら読んでもらえるか、
伝わるか、
収入につながるか(笑)
他人の目ばっかり気にして
書かれた文は本当の自分じゃない
なんだか気持ちの悪い文章ばかり。

 


昨日の朝、
久しぶりの晴天のなか
気持ちの良い海が見える道を車で走っているとき
ふと湧いてきたこと。


「一人で悩んで迷って悪戦苦闘してた
過去の私に向けて書きたい」

 


今日は天赦日、そして一粒万倍日。
2020年1月22日
私は私のためにこのブログを始めます。

f:id:pananufa14:20200122161154j:image

 

yayoi