この地球に生きる

konohoshi ni ikiru

「なんとな〜く」を信じる

沖縄でも2月はさすがに寒い日もあって
娘にジャンパーを着ていくように言う。

去年着ていたジャンパー
まだ着れるのに
なにかが気に入らないようで着ない。

すごく寒い日も
薄手のワンピース一枚で登校するので
サンエー(スーパー)で
娘が気に入ったのを買ってあげたら
嬉しそうに
「ほんとは寒かったんだよねー」
と言っていた。


私も最近なんとなく着たい服がなくて
でも寒いし
まいっか〜と仕方なく
気に入らない服着ちゃってたなー。

娘のこういうところ
自分に正直なところ
素敵だなぁって思う。



ずっと前
ある料理の本を読んでいて
(たぶんマクロビオティックの本だったかな?)

「陶器のお皿とプラスティックのお皿ではヴァイブレーションが違う。子どもたちにも出来るだけ陶器のお皿で食べさせている。」

と書いてあって
そのとき私は
「なんのこっちゃ??
急に怪しいこと言ってるなーこのひと」
と思ったのでした。



そこからときは流れて・・
ホメオパシーの体験から
植物や鉱物それぞれ
異なる波動を持っていることを知り

それをきっかけに
いろいろ調べてるうちに
全てのものは振動していて
異なる周波数を放っていることが
わかった。

そして意識をそこに向けると
本当に不思議なもので
わからないと思っていたのに
なんとなく感じるようになっていった。


あるとき
味噌汁を注ごうとしたときに
いつもは木のおたまを使っていて
そのときは見当たらず
プラスティックのおたまで注いだ。

「あれ、、、?
なーんか、違う?」

(文章で書くと伝わりづらい!笑)



「いやいや〜ヴァイブレーションなんてわかるはずないでしょ〜」
と思ってた私でしたが、
たしかに何かが違う。

でも急にヴァイブレーションが
とか言っても夫にも怪しまれるし
「木の方が優しくて、プラは熱で溶けると体に悪いから〜」
なんて説明しながらも

この、なんとなくの感覚の方が
信頼できて
説明は人のためにあとから付け足す
ようなことが増えていった。

でも、この
「な〜んか違う。」
ってみんな感じてますよね?

なんだか
エネルギーやヴァイブレーションを感じるって特別なような感じがして
「私にはそんな力もないし〜」
「怪しい」
前はそう思っていたけれど

実は誰もが感じている
「な〜んか」
だったんだなーと気づいた。

あぁぁ〜文章であらわすの難しい。笑
エネルギーやヴァイブレーション
周波数については
説明している本やブログが
たくさんあるので
気になる人はそれを確認してみてください。



思考を置いておいて
とりあえず感じる。

感覚を敏感にして
感じる何か

その何かがそれぞれ全く違うことを
だんだん感じるようになった。



私はもともと
とにかく頭でごちゃごちゃ考えて
説明(言い訳)して
左脳優位!っていうタイプでした。

でも
なにかを判断するときに
思考が入るときよりも
(損得勘定とか未来のことを不安に思うとか)
なんとな〜くの
雰囲気と直感のほうが
断然自分の望む結果が返ってくる。

で、なんとな〜くだと
納得してもらえないから
あとから説明を考えたり
本を読んで
こういう法則があるからなのか
と知ったり。

で、本を読んで、また試してみたり。

なるべく思考を置いておいて
「なんとな〜く」を感じて
「なんとな〜く」を信じる回数を増やして
そんなことを繰り返して・・
「なんとな〜く」が一番信頼できるようになった。



Facebookでも
エネルギーがとか書くと
怪しいって突っ込む人がいるから
なるべく隠してたけど
(たまに書いてたけど)
最近では
選択・判断することの
ほとんどを雰囲気と直感で決めています。

エネルギーなんていうと大層なものに感じるけれど
エネルギーやヴァイブレーションはなんとなく感じる雰囲気のようなものじゃないかと。
(感じ方の強弱は人によって違う)

雰囲気と直感で
決めるって決めてるわけでもなくて
そうなってしまうというか
それが一番信頼できるんですよね。

で、それを説明するために
一生懸命言語化する感じ・・



たとえば
沖縄にくることも
住む場所も
決めた小学校も
いろんな人に聞かれるから
たくさん説明してきました。

でも実は
雰囲気と直感がすべて。
それが一番信じられる。


小学校もいくつも見学して
フリースクールもたくさん見学して

過去の経験も
思考も
とりあえず置いておいて
感じた何かで決めた。

先生や子どもたちから感じる雰囲気
生えている木や飛んでいる蝶々
そこにいる動物たち
空気。

そのとき感じた何かは
このあといい流れを絶対運んでくる
そう信じたら
まったくその通りになりました。


前にも書いたけれど
自分の中に宇宙があるから
自分の感覚を信頼することは
宇宙の法則を信頼することにも
なるんです。

大層なこと書きましたが
ただ、感覚を信じて、
流れに身を任せるというような。

たぶん
自然と共に暮らしていた時代は
当たり前だった感覚だと思う。




存在するもの全てが
異なる周波数で振動しているから
当たり前といえば当たり前だけど

ただそれを在ると思えば
認めれば
どんどん感じられるようになっていきます。


な〜んかここ気持ちいい。
な〜んかこの人といると居心地がいい。
な〜んかこれはいいものな気がする。
な〜んかあそこにいったほうがいい気がする。


その「な〜んか」です。笑


現代は
「なんとなくの雰囲気」
を優先させづらい世の中のように感じることも多いけれど

誰でも持っている感覚を研ぎ澄ませて
それを信頼したら
ぴったり調和するはずで
それがこの宇宙の法則だと思います。

確信があるんだけど
説明が難しい・・
時間をかけて書いていきます。



ブログを書こうとして
頭の中を整理していたら
なかなか文章にできなくて

あれだけ
理屈っぽくて
思考優位だった私が
こんなに変化したんだ〜

と自分でも驚きです。笑


ひとつひとつ
これはこの理論があるから〜
とか
こんな法則が証明されてて〜
とか
書いていこうと思ったのですが
それをやろうと思ったら
いつまでも書けないので

それは他の方にお任せして

ただただ
私はこうやってみたらこうだった
を書いていきます。



まずは
すべてのものは振動していて
それぞれのエネルギーがあり
私たちは誰でもそれを感じられる。

人も同じで
一人一人
それぞれ異なる周波数を放っている。


全く意識していなかった人も

なんとな〜く
な〜んか

毎日
それを感じていることに
気づくはずです。

そしてその感覚を信頼する。

それを繰り返すことで
まったく違う世界が広がります。



そんな世界のことを
また書こうと思います。

いつでも
自分の感覚に正直に生きる
子どもたちが私の先生です。





yayoi

やってみないとわからない〜続き

昨日は
アシガールという漫画を読んでいました。
(現代の女子高生が
タイムマシーンで戦国時代に行く話)
超面白かった〜。

そこで
西洋医学の発達は
昔助からなかったであろう
たくさんの命を助けてるんだなと
改めて思いました。

西洋医学
代替医療と呼ばれる医療が
統合されて
その症状に最適な医療が選べる
そんな時代がもう来るのを感じています。

やっぱり
どっちもオッケーでいこう
と思いました。


さてさて
前の投稿
ホメオパシーの凄さを実感した体験がある
と書きました。

その体験の話です。



私たち夫婦は音楽が好きで
新潟に住んでいる頃は
よく野外フェスに出かけていて

特にフジロックには毎年参加していて
娘が3歳のころから
民宿に泊まったり
テントサイトでキャンプしたり
家族で楽しみにしていました。

息子は
2歳のときに
はじめてフジロックへ。

大雨で寒いときもあれば
日差しが強くて暑すぎるときもある。
山の天気は
変わりやすくて
毎年参加していても
その年がどんな天候になるのか
行ってみないとわからない。


(写真があまり残ってないのが残念。
子どもたちも楽しめる場所がたくさんあります)


あるとき
息子を抱いたまましばらく授乳していたら
寝てしまった。

日差しがきつかったのが気になったけれど
混雑していたので
少し人が引いたら動こうと思い
そのまま休んでいた。

ふと息子に触ると熱い
あ、これはまずいかも・・
と思い夫に話して急いで民宿に戻った。

あっというまに熱は上がり
呼吸が苦しそうになり
いつもの発熱とは違うことを感じて
不安が襲ってきた。


呼吸困難はまずい・・
熱中症だ・・


持っているレメディを使って
パニックになりながら
お世話になっていたホメオパス・井上さんに電話した。

元看護師でもある井上さんは
熱中症は後遺症が怖い病気。急いで病院で点滴を使って水分を入れることをしたほうがいい。」
と話し、症状を伝えると対応できるレメディを教えてくれた。

救急車に電話して待つ間
教えてもらったレメディをどんどん口に入れていく。

レメディをとるたびに
症状がよくなるのはわかったが
(熱が下がり、痙攣がなくなり
呼吸は最初に比べて穏やかになった)

それでも苦しそうで
心配で心配で
おかしくなりそうになりながら
救急車に乗り込んだ。


病院について
お医者さんにみてもらう。

私「昼間暑いところにいて、熱中症になったようです。39度くらいまで熱があがって呼吸困難で痙攣も見られました。」

医「熱中症でそのような状況になって、すぐにここまで回復することはあり得ないです。
いまの症状をみるとただの風邪だと思います。解熱剤を処方しましょうか。」

私(ホメオパシー使ったって言いづらいなぁ)
「いや絶対熱中症だと思います。知り合いの看護師さんに相談したら、点滴で水分を入れたほうがいいと言われました!お願いします!」

医「いま微熱ですし熱中症の症状ではないので・・」

そこで我慢できなくなり
ホメオパシーを使って劇的に回復をしたことを伝えると
お医者さんは顔色を変えて
熱中症ではありません。解熱剤以外は処方できないです。」

と言われ診断は終わってしまった。



私は不安で
泣きながらもう一度井上さんに電話。

井上さん「後遺症が心配だから点滴で水分補給して欲しかった、、どうしてもお医者さんは聞いてくれませんか?」

という返事。
私は
どうしたらいいかわからず
途方にくれた。

そのときいた場所は不便な場所で
他の病院に行くのも難しかった。



今思えば呆れてしまうけれど
そのときはすぐに家に戻りたかったのに
長時間の移動が息子に負担があったらと思うと判断ができず
夫にもはっきり伝えられなかった。

そのときは
民宿に戻って
息子を一晩中見守るしかなかった。

夜中でもすぐに連絡して!
と言ってくれた井上さんに
本当に本当に助けてもらった。

教えてもらったレメディを摂取するたびに
劇的に症状が変化するのがわかり
ホメオパシーの凄さを思い知った。


次の日。

はっきり意思を伝えられなかった以前の私は
夫の貴重な夏休みでもあるし
ずっとフジロックを楽しみにしてたし・・
民宿にいられても困るし・・
などなど
勝手に一人でぐるぐる考えて
モヤモヤしたまま
フジロック会場に向かう夫と娘を見送った。

(このとき抑えた不満は後になって
かなり響きました。笑
この話はまたいつか書こうと思います。
ちなみに夫は、子ども思いのすごく優しい人です。
相談せずに一人で勝手に悩んで決断したのは私でした。)


一日中
薄暗い民宿の部屋で
息子の呼吸をずっと見守っていると
自分まで呼吸が苦しくなって
本当に辛かった。

こんなに小さいのに連れてくるのがいけなかったんだ・・
後遺症が残ったらどうしよう・・
ずっと自分を責めながら一日を過ごした。


奇跡的にホメオパシーをやっている友達が
フジロック二日目に日帰りでくることがわかっていたので
使い切ったレメディを持ってきてもらって
夫に渡してもらった。

本当に助かった。


一日何も食べずに
トイレもほとんど行かずに部屋にいたので
民宿の方が心配して
夜ご飯にチャーハンを差し入れてくれた。

ありがたくて
泣きながら食べたことを
覚えている。



三日目が過ぎる頃には
息子の症状は落ち着き
自宅に帰った。

目の下のクマと
熱中症の後遺症で
肝機能の低下が考えられたから
肝臓のサポートレメディ を取りながら
しばらくゆっくり休んで
元の元気な息子に戻っていった。



この体験は私には
衝撃が大きすぎて

また自分のせいで
息子を危険な目に合わせたことが
後ろめたすぎて

今まで
誰かに話すことが
できなかった。


重度の後遺症が残っても仕方がない状況で
ホメオパシーの底力を目の前で
見せつけられた。

そしてその回復の速さは
西洋医学では
考えられないものであることも知った。


波動の持つ大きな力を
もっと多くの人が
活用できたらいいのになぁ
と思った。



そしてずっと信頼して尊敬していた
ホメオパスである井上真由美さんの
凄さを改めて実感しました。

井上さんは新潟県阿賀野市で
マリーゴールドという場所を主宰されています。

本当に愛のある対応で
的確な判断で
息子の命を救ってくれました。

井上さんのお話は
愛たっぷりで
たくさんの経験と知識が元にあって
本当に素晴らしいです。

福島の子どもたちの保養活動も
ずっと続けておられます。

様々な場所でセミナーも開催されています。

井上さんのFacebook

追記
私は何度か井上さんの面談(ホメオパシーセッション)を受けていて、このときは命に関わる緊急事態だったためご連絡させていただきました。
急に電話で相談するのは辞めてくださいね。



フジロックはこんな苦い体験もあったけれど
自然の中で体験する
非日常の世界は
子どもたちの中に鮮やかに残っているよう。
娘も息子も
夏になると今年もフジロック行きたかったな〜
と話してくれる。



改めて振り返ると
この体験は苦しくてきつかった。
でも私の世界をすごく広げてくれた。


そして
子どもに何かあるたび
自分に不調が起こるたび
生きていることは奇跡だなぁと感じます。

こんな体験を繰り返すたび
思い出すたびに
生きている奇跡に
感謝せずにはいられなくなります。


もう冷や冷やするのは
こりごり。笑
こんな体験がなくても
毎日感謝して生きられたら
それが何より素晴らしいですね。


昨日も
子どもたちと餃子を作りながら
一人でしみじみ幸せを感じていました。

餃子しかおかずがなくても
美味しい〜最高〜!
と言ってくれる子どもたち。笑

いいな〜食べたい〜
とテレビ電話してくれた夫。


毎瞬、毎瞬、
心を向ければ
感謝できることの連続だなぁと
改めて思う夜でした。





yayoi

やってみないとわからない

新型コロナウイルスが流行しているようですね。


私は娘が3歳くらいの頃から
ずっとホメオパシーを活用しています。

実は
これまでずっと
堂々と人に言うことができなかった。


ホメオパシーと聞いただけで
拒否反応を起こす友達もたくさんいるし
親や義両親にも怪しまれるし
しっかり説明するのも大変だし
別に他の人にわかってもらう必要もないし
怪しまれるのはいい気しないし
・・・
こちらからは特に伝えることなく
ここまできて


でも本当は
超〜〜〜〜
ホメオパシーにお世話になってきました!
(あーすっきり)



私の中に宇宙がある
書いたけれど

身体の仕組みが完璧だと知って
なるべく薬は使いたくなくても
自然療法だけでは頼りないときもあって・・
子どもの不調って
見守るのが
すごく辛い。
心配で心配で何かしてあげたくなる。

そこでいつも助けてくれるのが
ホメオパシーだった。


ホメオパシーと出会ったきっかけは
予防接種を受けたあと
娘が一週間くらい便が出なくて
不安になって
放射能のことを教えてくれた
ある方に相談したことがきっかけだった。

解決策のひとつに
ホメオパシーを提案されたとき
当時の私は
超ドン引き。

「砂糖玉で治る?!
波動?宗教じゃないの?
超怪しい!」
が正直な感想でした。笑



でも震災後
信じていたことが
いくつもひっくり返された経験から
やってみないとわからないかもしれない
そう思い
とりあえずアドバイスしてもらったレメディを
試しに舐めさせてみた。

すると娘の便秘は治り
だったらもっと試してみよう!
と基本キットと本を買って
さらに試してみることに。


ホメオパシー
いま起きている症状と同じような症状を起こす作用のある植物や鉱物などの波動を転写したレメディ (砂糖玉)を使って身体を反応させることで自己治癒力を高めて治癒を促します。
(スイッチを入れるようなイメージ)



説明を聞いても
ぴんとこないかもしれないけれど
実際に症状に合うレメディを摂取することで
子どもたちに起こる反応は
とてもわかりやすかった。
 

熱を出したとき
症状にあったレメディを口に入れると
たいていパタッと寝てしまい
熱は下がっていき
(さらに上がってから下がることも多い)
他の症状に変わり
あっという間に症状は引いていく。
一連の過程を早送りしている感じ。

症状の移り変わりを観察していると
どんな病気も身体の浄化作用であり
必要な過程を経て
鎮静していくのがわかる。



どんな症状も初期が大事で
あ、なんかおかしいかも
そう思ったら
すぐアコナイトというレメディ をとる。

すると
そのあとの経過が
全く違う。



息子はやんちゃなので
アーニカというレメディをよく使う。

海外旅行中
大きなタンコブを作ったときは
本当に心配したけれど
アーニカのおかげでその日のうちに
タンコブはわからないくらいになった。



私も目の前で見ていて
びっくりしたし
信じてもらえる気もしないし
わざわざ伝える必要もなかったのが
今までのこと。



何度も何度も
体験を重ねて

どんなふうに効果があるのかがわかり
どんなときに
効かないのかがわかり
(今まで薬をとってきた人は反応しにくい。私ははじめは全く体感がなかったけれど、出産時に使って大きな体感があった。)


レメディの選び方も
慣れてきて
感覚で決めることができるようになってきた。




旅が好きで海外に行くことやキャンプをすることも多い私たち。
今まで問題なく楽しめたのは
ホメオパシーの助けがあったことが大きい。

旅先で急な子どもの病気のとき
スマホとレメディがあるだけで
どれだけ助けられたか。


でもほとんどの人は
多くの人が使ってないものを
批判する傾向がある。

知らないから
自分の知識が覆されるから
怖いのかもしれない。

医者や権威のある人が
効果がないと言えば
そう信じる。

すごくわかる。
私もそうだったから。
 


でも結局
誰がどう言ってても
どんなデータがあるとしても

自分の身体に起こること
目の前で起こること
以上に信じられるものはないんです。

だから
やってみて確かめたほうが
早いし確実。


試してみるのは嫌でも
砂糖玉で病気治っちゃうこともあるらしい
と思えたら
世界が広がると思う。笑
 

もし自分が
一生懸命勉強して
医学部を出て
安定して稼いでいて
毎日忙しく働いてるお医者さんだとして
砂糖玉で病気が治るよって誰かに言われたら
否定したくなるかもしれない。

私はその気持ちもわかるので
お医者さんの言うことより
自分の体験の方を信じます。

(いろんなお医者さんがいるとは思いますが)



人の言うことに惑わされることもあるけれど
やっぱり
私は自分の体験の方が信じられるし
自分のことは自分で決めたい。


私は
ホメオパシーをきっかけに
すごく世界が広がった。


周波数や波動の世界に
興味を持つきっかけになった。


一般的な情報と真実が
かけ離れていることはたくさんあって
そんな話は
閉じていたらまったく入ってこないのに
開いていたらいくらでも入ってくる。


自分の知らないもの
過去の体験から考えて信じられないこと
それらを怖いと思う気持ちは当たり前。


だから
世間ではどんなに間違っていると言われていることでも
怪しいと言われてるものでも
気になったら試すようにしている。

試して違ったら
取り入れなければいいだけ。

続けてみて
合わなくなったら
違ったなとおもえば
やめたらいいだけ。

私のことは私が決める
に書いたように、
素直に開いていることと
自分をしっかり持つこと
やっぱり両方大事だなぁと思う。



ホメオパシーの凄さを確信するきっかけになった
ある体験があるのですが
長くなってしまったので
また別に投稿しようと思います。


いまはいろんな治療法を活用していますが
私はホメオパシーと出会えたことに
感謝しています。




ホメオパシーin Japan―基本36レメディー (由井寅子のホメオパシーガイドブック1)

まずはこの一冊。
イラストにびっくりするかも笑



はじめてのホメオパシー―「レメディ」で急な発熱やケガなど家族の身近な病気をやさしくケア (地球丸からだブックス)

入りやすい本です。




ホメオパシージャパンレメディー 新36基本キット

基本キット。私が使うのはほぼこれだけ。
キッズキットもたま〜に使っています。
 



追記

私の体験ですが
急性症状にはホメオパシーは使いやすいですが、慢性症状に使うときは注意が必要です。

慢性症状に活用したいときは、信頼できるホメオパスさんに相談しながら使われることをお勧めします。

どんなことでもそうだけど
それだけを盲信しないことが大切。
ホメオパシーは数ある選択肢の一つとして捉えています。

繊細、敏感、どっちも才能

毎日、洗濯物を干しながら
海を眺める。

水平線は
やわらかい曲線を描いていて
地球は本当に丸いんだなぁと
感じます。



我が家の子どもたちは
どちらも繊細で敏感。

HSP(HSC)=敏感体質の人
のチェックリストも
二人ともだいたい当てはまります。


たとえば
二人ともダメなのが
外出先のトイレの音。

はじめての場所でのトイレは怖いようで
(用を足しているときになる小さな機械の音や、突然自動で流れるのが怖いみたい)
二人とも未だに一人でトイレに行くことができません。

二人とも耳を塞ぎながら
涙目になりながら
トイレを済ませてダッシュで逃げていく。笑

小さい頃
森の中で過ごすことが多かったから
どんなとこでも
野外で用を足すのは全然平気で
自然の音には驚かないのが面白い。



上の娘は
特に敏感で
場所見知りと人見知りも激しい。

その場の雰囲気なのか
ダメな場所は顔が強張って
何も話せなくなる。

小さな頃から
いろいろなところに連れて行っているけれど
それは変わらないので
慣れの問題ではない様子。


そんな子どもたちの様子を
生まれた頃から見守っている私。

繊細で敏感だから
本人が大変な思いをしているのを
見かけることがたくさんあった。

でも
繊細だからこそできる
人への優しい心遣いや
敏感だからこそあらわれる
感性の豊かさに
いつも感動してきた。

だからできるだけ
二人の個性を守っていきたいなと
思う。
けれど、時々
「あなたが甘やかすから子どもがそうなるのよ〜」
という言葉や目線が痛い。笑


娘が学校へ行けなくなってしまったとき
だんだん朝起きられなくなり
お腹が痛くて下してしまうようになった。
娘の様子で
無理をしすぎるくらい頑張ったんだなと思えたから
私は行けないことに納得していた。

でも学校の先生からは
「これくらいのことを我慢できないと
将来が心配ですよ!」
と、言われた。

それを聞いたとき
娘が我慢できないことを
私はまったく心配してないなと思った。

会社で働いていたとき
頑張りすぎて、無理しすぎて、
心身を壊してしまう人がたくさんいた。

世界に出れば
学校に行かなくても
自由に好きにたくましく生きている人は
いっぱいいる。

心配なのは
自分の心がわからなくなること
自分の気持ちが言えなくなること
のほう。

でも今までは
みんな同じように頑張って
我慢して
いろいろなことを発展させてきた。

だからそんな言葉が出てしまうんだなって
思った。



娘の不登校中に
いろいろな人に
そんな言葉を何度も言われるたびに
「今まではそうやってみんな頑張ってきたんだな。
ありがたかったな。
でももうこの子たちは大丈夫。」
そんなふうに思った。

そして
自分の言葉で
行きたくないって
伝えてくれた娘を
誇りに思った。




これからは
AIがたくさんの仕事を引き受けてくれて
私たち人間が担当するのは
AIができない
繊細な感性を使ってできること。

HSPと呼ばれるような
繊細で敏感な子が増えているのも
そんな時代が来るからかもしれない。

だから私たち親ができることは
そんな子どもたちの感性を
できるだけ守ってあげることだと
思っている。

息子は今年の春
幼稚園に通い始めて
ずっと嫌がって泣いていて
みんなは玄関でバイバイするのに
自分の荷物の片付けが一通り終わるまでは
帰らないで欲しいと伝えてきた。

教室の中までついていき
タオルや連絡帳が片し終わるのを見守る間
先生の目線が本当に痛かった。笑
「お母さんが離れれば自分でやりますよ」と
言われたり、連絡帳に書かれてしまったり。
先生の気持ちもわかる・・

それでも
息子が自分からいいよと言ってくれるまで
途中悩みながらも
見守り続けた。


しばらく経って
ある日
送る車の中で
「ママ、今日からもう玄関でバイバイできるよ。」
と言ってくれた。

突然のことで
びっくりしたけれど
その日から本当に玄関でバイバイするようになった。

途中先生の目線が辛すぎて
無理やりバイバイしようとしたけれど
本当に待ってあげてよかったと思った。

息子の意思を尊重して
本当によかった。

自分で納得して
玄関でバイバイできるようになって
彼もたくましくなったように思えた。


日々暮らしていれば
我慢する機会は当たり前にあって
子どもたちはいつも学んで成長している。

だから
私が一緒にいるときは
子どもたちの
繊細で敏感なところを
大切にしてあげたいなと思う。



あるとき
ドラえもんを見ていて
のび太がピンチになると
逃げて隠れる子どもたちを見て
自分もまったく一緒だったことを
思い出した。

そうやって子どもたちの
繊細で敏感なところを見守っていると
自分もそうだったことを思い出して
ほどけていくような感覚がある。

私は生きていくために
その繊細さや敏感さを抑え込んで
成長して
大人になってから
その感性を取り戻すのにとても苦労した。

その過程も愛おしいし
過去の自分にありがとうと思える。

そして
もう同じような過程を
子どもたちが経験する必要がない
とも感じる。


周りと同じようにできなくて
娘は私とべったりで
うちは大変だなと思うこともあるけれど
この子たちだからこそ
教わることが本当にたくさんある。

だから
私ができることは
そんな子どもたちを
穏やかに見守っていられるように
自分をご機嫌にしておくこと。


もう無理だーってなっても
美味しいランチでも食べれば
笑って子どもたちの帰りを迎えられる。


沖縄に引っ越してきたとき
私は体調を崩していたから
息子は夕方まで園で預かってもらっていた。

少し前の面談で
友達の輪に入れなくて
泣きながらも一生懸命頑張っていたことがわかって
(心配させないように私にはそんなこと一言も言わなかった。泣ける〜)
最近は早く迎えにいって
夕方はのんびり三人で過ごしている。

こうやって回復できたのも
幼稚園のおかげだなぁと思う。



子どもたちのこと・・
一人で生きていける強い大人になるよりも
人と助け合えるように
優しさや思いやりをもった大人になれたら
いいなと思う。


だから
お母さんは
子どもたちに
愛していることを
伝えていたら
それで大丈夫な気がする。


美味しいお茶を飲んで
甘いもの食べて
子どもたちが帰ってくる
夕方に向けて
準備万端です。





yayoi

私の中に宇宙がある

先週はとにかく
眠くて眠くて
昼間は
畑の様子を見に行く以外は
家にいて眠ってばかりいました。

寝たいと思えるときに
寝れるということは
本当に幸せで
ありがたいです。

そして
先週は
冬土用真っ最中だったということを知り
あーそうだったのか
と納得。
(1月18日〜2月3日まで土用でした。)


最近は
ブログを書き始めて
いまの自分を観察して
どうしてこう思うようになったんだろう
こんなふうに感じるようになったんだろう
自分の中を掘り起こしています。

そこで見つけたのが
自分の身体を意識するようになったことが
今の私へ変わるための
大きなきっかけになったということでした。


長女を出産するまでは
東京に住みSE(システムエンジニア)
をしていた私。

実家から解放されたからなのか
仕事のストレスなのか
原因はわからないけれど
入社してすぐあとから
慢性蕁麻疹に悩まされていた。

だんだん悪化していって
朝起きると
目がお岩さんのように腫れていたり
身体の中にまで蕁麻疹が出るようになって
呼吸が苦しくなったり
治るどころか悪化していく一方で
不安で不安で
考えるのは
毎日蕁麻疹のことばかり。

病院でもらった薬を飲むと
軽くなるような気がしたけど
とにかく眠くなる。
あるときは会議で寝てしまって
注意されたことがあった。

そのときは本当にショックで
恥ずかしくて
とにかくへこんだ。

そのとき
このまま薬を飲み続けても
意味がないんじゃないかと思って
いろんな方法を調べて
マクロビオティックという食事法があることにたどり着いた。


そのときは
ただ蕁麻疹が治まればいい!
という気持ちだったから

身土不二という考え方や
(人間の体と人間が暮らす土地は一体で密接な関係にある。その土地のものを食べ、生活するのがよい。という考え方)

陰陽という考え方があるということに
感動はしたけれど

それよりも
治るならとにかくやる!
という感じで
どうしてマクロビオティックなのか
ということをあまり理解しないうちに
とにかく実践してみた。


当時は
毎日太陽を見ることがほとんどなく
一日中パソコンの画面を見て

眠くならないように
常にガムを噛み
休憩でビル内のコンビニに行くのが楽しみで

マクロビを実践するには
あまりにも
自然とかけ離れた生活をしていたと思う。


それでも
食事を気をつけることで
段々と症状が出なくなり
治っていった
ような気がする。
(症状があるときはとことん気にするのに
治ってしまうと全く記憶がないのです。笑
どんなふうに治っていったかも覚えてない。)

そこから
夫の転勤で新潟に引っ越し
放射能のことが気になって
いろいろなことを調べるうちに
自然育児や食養生のことを知るようになった。

蕁麻疹の経験があったから
抵抗なく受け入れられて

陰陽五行という考え方や
身体の仕組み
病気はどうして起こるのか
など

どれも自分の身体のことなのに
知らないことばかりで

とにかく面白くて
たくさんの本を読んで
お話を聞いて
実践してみる
そんな毎日でした。


⭐︎⭐︎⭐︎

陰陽五行とは
ざっくり言うと・・・

「木」「火」「土」「金」「水」
からなる五つの要素と森羅万象全てが対応しているという考え方。

たとえば

木だったら
季節=春
五臓=肝
五腑=胆
感情=怒
味=酸

に対応しています。
詳しく知りたい方は調べてみてください。

⭐︎⭐︎⭐︎


私も全てが頭に入っているわけではなくて
忘れかけてたので
調べながら書きました。

でもなんとなくは
身体に染み込んでいて

春になって
子どもたちが黄色い目やにを出したとき

陰陽五行を知らなかったら
「結膜炎かな?菌が入っちゃったのかな?」
とおろおろしてたと思うけれど

もしかして
春だし肝臓のデトックスかな?
(目と肝臓は関係が深いと言われています)
とりあえず様子を見てみるかな〜
と自然現象として捉えられるようになった。


病気は身体の浄化作用ということを知って
身体の仕組みを知れば知るほど

(私は調べて知ることが大好きなタイプ)

痛みも
風邪も
全て意味があって
身体が身体のために
起こしているシステムだと知って
身体の奇跡のような精密なシステムに
本当に感動した。


それなのに
なにか痛みが起これば
問題が起これば
原因も考えずに
ただただ抑えようとしていた。

抑えたものはなくならず
身体は
排出やサインを出すことを繰り返すけど
それでも抑え続ければ
最後は大きな病気になってしまう。

最期の最期まで
身体は自分を浄化するために
働き続ける。
それが身体の仕組みであり
自然の法則。


そんなことを知るたびに
今まで私は
自分に対して
ちぐはぐなことをしてたんだなぁ
と思ってしまった。

そして
身体に対して
すごく感謝の気持ちが湧いてきた。

蕁麻疹が出ていたときも
なんで出るのかわからなくて
不安になって
身体に対して
どうして?
と怒っていた。

突然その症状が起こったと思って
わからなくて
なんだか怖かった。



食べ過ぎたり
無理したり
感情を抑え込んだり

そんなことが続けば

鼻水や咳をだして
排出するし
どこかを痛くして
身体が怠くなって
不具合を教えてくれる。

高熱を出して
増えた癌細胞をやっつけてくれる。

身体は
汚れた血を綺麗にするために
抑えた感情を吐き出すために
ウイルスや菌の力を借りて
デトックスできる機会をいつも待っている。


単純なことなのに
知らないから
怖かっただけだった。



面倒くさがりの私は
今はしなくなってしまったけど

娘が熱を出せば
大根をすったり
りんごのクズねりを作ったり

足湯をしたり
こんにゃく湿布をしてみたり。


当時はただ一生懸命だったけど
いま思い出すと
そんなふうなことを私がするたびに
娘が嬉しそうにしていたことを
思い出した。

そのときの体験が
頭だけでの理解だったのを
身体にも染み込ませてくれたんだな
と思う。



そして
陰陽五行の考え方のように
私の身体の中は
宇宙とも連動していて

一日の中で干潮と満潮があるように
一月の中で新月と満月があるように
一年の中で季節が巡るように

リズムを刻みながら
変化していることがわかってきた。


知識から入るタイプの私は
はじめはよくわからなかったけど
和暦のカレンダーを使ってみたり
新月と満月を意識するうちに
なんとなく身体が連動するようになっていった。

生理が来たなーと思えば
満月だったり
不摂生や悩みがあると
またズレてしまったり。

なーんかダルいと思えば
あとから土用だと知ったり

星の影響を受けていたことを
知ったり

毎回毎回
暦をチェックなんてしなくても
あとから思えば
だいたいそうだった
という経験を重ねて

身体の中は
宇宙そのものだと
感じるようになった。


そして
いま思うのが
身体に起こること
その原因を
今の私が
頭でわかることができないのは
当然だということ。

地球で起こることは
異常気象でもなんでもなく
地球の自浄作用ということは
わかっていても

それがどうして起こっているのか
すべての原因を
自分で感知することはできていない。

だから
身体に起こることで
わからないこともたくさんある。

原因を探っても
仕方ないときもある。


でも
宇宙の仕組みも
身体の仕組みも
完璧だという信頼があるから

自然に起こっていること
身体に起こっていること
すべてが
必然で起こっていることがわかる。


だから
自然に起きていることは
収まるのを待つしかないように
身体に起きていることも
ただそれが起こってるんだと
収まるのを待つしかないときもある。

そんなとき
自然療法は
精神的にも肉体的にも
私をサポートしてくれる。


とはいいつつ
身体の不調があれば
不安になって
痛がって
大騒ぎしちゃう私だけど

身体を治すために
身体が頑張ってるんだと思えば
少しは気持ちも軽くなる。



痛くて
いまの症状を抑えたくて
薬を使うのも自分が決めること。

痛みに耐えられなくて
症状が激しくてそのままでいられなくて
薬を使うこともある。

でも
症状が治ったら
意識してデトックスしとこうかな
食べ物も少しの間丁寧にしようかな
と思えるし
最近無理しちゃってたのかも
と気づける。

怖くて
不安で
どう作用するかもよくわからないのに
とにかく薬を使う
そういうことはしないようになった。


症状がでて
なにが原因なんだろう・・
って悶々悩まないで
自然現象なんだなーと
(少しは)
捉えられるようになった。




ずっと感じていた
身体の中に宇宙があること
それは本当なんだなという
確信は強まっていて

地球を
宇宙全体を
大切にする

壮大で
途方もないことのように思えることが
実は自分を大切にすることでできる。

すごいなぁと
自分の身体を感じるたびに
思います。



今さえよければいい

そうやって
農薬や化学肥料や排水で
地球を汚すことと
薬や化学物質を取り入れて
身体を汚すことは
似ているかもしれない。

そうやって汚れたあと
地球に起こることも
身体に起こることも
似ている気がする。




生理があったり
出産したり
女性は
身体と自然が連動していることを
感じやすい。

以前の私は頭が固くなっていて
知識から入らないと
すぐにはわからなかったけれど

自分の感覚を信じれば
身体の中が宇宙そのものだと
誰もが感じられる。


そんなことを
私たちに教えてくれる
暦や陰陽五行の考え方
古人の知恵は素晴らしいな
と思います。







からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て

子どもたちが今より小さいとき
ものすごくお世話になった本です。




マワリテメクル小宇宙

陰陽五行のこと詳しく解説しています。



風邪の効用 (ちくま文庫)

はじめて読んだときは目から鱗でした。
これを読んでから
子どもたちが発熱してるときより
解熱後の過ごし方を気をつけるようになりました。



私が愛用しているわ暦です。
https://www.facebook.com/wakoyomi/







yayoi

どっちもオッケーは最強

自然の中で過ごすことが好き
そんなことを話したり書いたりするので
すごくアウトドアな人
と思われがちなのですが

普段は
スマホ依存症を心配するくらい
スマホをいじり
漫画や本を読み
のんびり家にいるのが好き。
(スマホ依存症はどうにかしたい
とは思っている)


でも
自然の中にいることも大好きで
キャンプも好きだし
人が行かないようなワイルドな場所も好き。

どっちも私。



旅が好きで
Facebookにもよく旅の投稿を載せるし
いろいろな場所に行く。
だからいつもどこかを飛び回っている
そんなふうに思われることも多い。

でもどこかに行ったあとは
反動なのか
とことん家で休む。
回復するまで結構時間がかかる。

家で休んでスマホ見てることなんて
投稿しても誰も面白くないから
しないだけ。笑

どっちの私もやっぱり私。

最近のこと。
私は見た目がヴィーガンっぽくみえるみたいで
ヴィーガンなの?
と違う人から何回か聞かれた。

ヴィーガンは大好きだけど
ヴィーガンてこともないんです
と応えた。


そういえば
子どもたちが産まれてから
Facebookでシェアされていた
ある動画を見たことがあった。

鶏や豚が工業製品のように
ベルトコンベアに載せられて
モノのように扱われながら
精肉されていく様子。

ショックだったし
かなり影響を受けた。


あといまでも大好きな


アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)

を読んだ影響もあったり


他にもいろんな人の話を聞いたりするうちに
なんとなく
お肉を食べることへの罪悪感が芽生えて
だんだんとヴィーガンのような食事になっていった。

その頃は
添加物や環境のことを気にして
コンビニで買ったものを食べることは
ほとんどなかった。

何を食べるかは
いつも悩みの種で
買うものがないなーと感じて疲れて
マクロビスイーツや
素材の良いスイーツを食べることで
なんとかごまかしていた。

いま思えば
授乳もしていて
すごい貧血状態だったし
栄養不足だったような気もする。


そんなある日
インフルエンザか何かで
高熱が何日か続いて
全く何も食べられなくなった。

うさとの服をパジャマにして
(手織り手染めの丁寧に作られた服)
熱にうなされながら寝ていたら
腰のタグのところが熱くなって
「食べ物をジャッジするのはやめにしよう。
許してあげよう」
そんな声が聞こえたような?
浮かんだような?

そんな気がしたあと
やっと熱が下がっていった。


そして熱が下がって
すぐ食べたいもので浮かんだのは
肉だった。笑

その頃は
ヴィーガンやマクロビを
基本にしていたし
断食後の回復食の知識があったから
そんな自分にびっくりした。


友達が弱っている私に連絡をくれて
「なに食べたい?」
と聞かれて
「肉」
と答えたら
驚きながら
野菜とお肉の優しいおかずを持ってきてくれた。

肉以外のものを口に入れると
吐き気がしてしまう。

もう笑うしかないな
とか思いながら
しばらく肉を食べ続けた。



そして少し動けるようになって
友達とカフェに行って
大好きなタルトタタンを頼んで
一口、口に入れたら
気持ち悪くなって
そのあとまったく食べれなかった。

みんな
甘いものが大好きな私を知ってるから
すごく驚いてたことを思い出す。



そのあと
しばらく経って
なんでだかふと
コンビニに行きたくなって

今まで絶対食べないようにしていた
ショートニングたっぷりの
クリームが挟んだパンと
コンビニのコーヒーを買って食べて飲んだ。

なんでだか
ありがとう
ごめんなさい
って言葉が湧いてきた。




そんなことがあって
それからは
頭で考えずに
食べたいものを食べようと
思うようになった。

身体や心が
食べたいといえば
子供達が
食べたいといえば
なんでも食べる。

いただいたものは
感謝していただく。

いろんなことに敏感になるうちに
エネルギーが感じられるようになって
作り手の思いや状態が
食べ物を変えてしまうこともわかってきた。

どんなにジャンクなものでも
食べさせてあげたいっていう
気持ちがのったものは
食べ物から愛を感じることがある。

外食をしたり買ったものを食べたりすると
やっぱり
普段使っている丁寧に作られた調味料は
すごく美味しいんだって
改めて気づけた。


そして
不食の秋山先生とお会いして
食べなきゃ生きていけないっていう
固定観念もなくなってしまった。

食べなくてもいいんだったら
せっかく食べるなら
食事の時間を
喜びを感じる時間にしたい。

食べることの喜びを感じるのは
人として産まれたことの喜びだなぁ
そう思います。




沖縄はヴィーガン食文化が根付いていて
ヴィーガンカフェやレストランが
たくさんある。

自然栽培の元気な野菜も手に入りやすくて
私にとっては天国のような沖縄。 


ヴィーガンレストランやカフェで
でてくる料理は
彩豊かで芸術のようで
ヴィーガンじゃないひとも
超美味しく感じられて
食べるたびに幸せになれる。
お腹も満足できるように工夫されている。



ヴィーガンケーキは
美味しくて美しいだけじゃなくて
食べたあとも軽やかで
嬉しくなる。

味にうるさい子どもたちも
大喜びで食べる。


こんなに美味しくて
芸術のように美しくて
地球にも優しくて
ヴィーガンって素晴らしい!
って素直に思うことができる料理を
気軽に食べられる。

超幸せなことです。



でも
子どもたちの
ハンバーグ食べたい
ウインナー食べたい
あのお菓子食べたい
も叶えてあげたい。

みんなと一緒のものを食べたい
当たり前の自然な気持ち。
その気持ちもできるだけ尊重したい。

最近は
完全なヴィーガンにならなくても
お肉をいただくのを
特別なときにしていくのがいいなぁと
思っている。




環境によくないから
動物たちによくないから
頭で考えて決めて
心と身体の声を聞かなかったら
私には反動が返ってきた。

否定のエネルギーが元にあると
どんなに
素晴らしいことをしているように思えても
自分の中で争いが起きていた。


心と身体が喜ぶことを
地道に探して実践していったら
自然に地球と寄り添うことになることに
気づいたときは
宇宙はよくできているなぁと
感動した。


遠回りに思えるかもしれないけれど
実は
自分の中の争いをなくすことが
私の理想の世界への一番の近道だって
あらゆる体験から思う。



私たちの世界って
本当に両極端で

たとえば

自然育児と
いまの普通の幼稚園や保育園のあり方

自然療法と
西洋医学

などなど

笑ってしまうくらい
向いている方向が
真反対で

両極端なことが
たくさんある。


私にもこだわりがあって
譲れないことも多々あるけれど

それでも
両方オッケーして

それも必要だったよね
いまも必要なときもあるかもね

ありがたかったね
ありがたいね

そう思えたら
じゃあ両方オッケーだったら
自分にとって
心地よいのはどっちだろうって

自分の身体と心に聞いて
よりハッピーな方を選ぶのが
私はいいな。



なにかを否定することで
自分の意見を正しいものにするのは
もうやめた。


自分の中の争いは
もう終わり。



ただ
私にとって

心地よいか
好きか
美しいか
喜びがあるか

そんなことを大切にして
暮らしていきたいな

そう思っています。






yayoi

私のことは私が決める

日々いろんなことがあって
もう大丈夫
そう思っても
揺さぶられることはやっぱりあって

(特に子どものことについては
すぐに不安になり悩み迷う私)

季節のように
天気のように
自然界に生きる植物のように
私自身も
とどまることなく変化していくのを
いつも感じる。

揺れたり変化したり。
きっとそれが当たり前。



たくさんの情報や
起こる出来事に
踊らされることはしたくない。

でも
変化が必要なときもある。
だから閉じていないで
なるべく素直に開いていたい。

両方の側面を大事にしたい。



どんなに
尊敬できる人が言ったことでも
それが権威のある方でも
有名な方でも

ん?と引っかかる部分があれば
鵜呑みにして
そのまま信じることはしない。

私のことをわかってるのは
私だけなんじゃ〜
人に決められてたまるか〜!
という肚からの声が聞こえてくるから 笑


逆に

心が揺さぶられて
絶対受け入れられない
絶対あり得ない
って言葉や出来事も

なるべく
色(感情など、体験からくる憶測)をつけないで
そんなこともあるかもしれないね
と一度そのまま受け取るようにしている。


自分をしっかり持つことと
そのまま受け止めること
両方大事だと思う。




自分がしっかり立てるまで

私のことをわかってるのは
私だけなんじゃ〜
人に決められてたまるか〜!
と思えるまで

いろいろな体験があった。
今日の投稿はそんな話。



震災後、
いろんな情報に触れて
さんざん踊らされた。

医療のこと、放射能のこと、
食のこと、
初めて知るような情報は
ショックなことも多かったし
なんだか今まで見てきた世界が
信じられなくなって
全てを斜めにみるようになっていった。

正しい情報も
間違っている情報も
入り乱れていて
いろんなことを聞くたびに
ブレていた。

知らなかったことを一気に知って
知らなかった自分が不甲斐なくて
気持ちのやり場がなくて
何も知らないで生活している人を
否定することで
心を保ってたという部分も
あったかもしれない。

冷静に振り返ると
そんなことを思ったりします。



そして
前の私は
今より
周りに認められたい
人に好かれたい
そういう気持ちが強かった。


自然な育児を知って
森のようちえんに入って
同じように思う人に出会えたことが嬉しくて

お話会があれば
お裁縫や畑仕事やワークショップがあれば
とにかくなんでも行ってみよう
いろんな人と過ごして
いろんなことを吸収しよう
そんな感じで毎日楽しく過ごしていた。

でも

自然の中で過ごす時間が心地良くて
そんな時間が増えて
森の中でそのままの姿で生きる
子どもたちの姿を見て
自分が本当の自分じゃないような
違和感を感じるようになった。

本当の自分が知りたくて
自分の声に耳を傾けるようになった。


はじめは
「これができるようになりたい。」
「自分にはこれ!ってものを見つけたい。」
とかそんなことが出てきたけど
なんだか焦ってるようで
なんか違う感じがして

もっと自分を探ったら
やっと出てきたのが
「ゆっくり寝たい。ゆっくり休みたい。」
だった。
拍子抜け。笑


娘が年長の歳になって
やっと楽しく通えるようになって
朝もすんなり離れて
自分から行けるようになって
(ここまでが長かった・・)

幼稚園に送ったあと
まだ赤ちゃんだった長男と一緒に
家でとにかくゆっくり過ごしてみた。

窓から入る日差しを感じながら
息子に授乳しながら昼寝をした。
子どもたちが産まれてから
やっとゆっくり休めた時間だった。

子どもたちが産まれてから
何かとずっと闘ってたし
必死で子どもたちを守ろうとしてた。

周りのいろんなことができる人たちを見て
頑張っている人たちを見て
自分だけ休むなんてダメって
思い込んでいた。
 
でも
元々一人が好きな私は 
静かなところで
誰の目もないところで
ゆっくり休みたい。
本当はずっとそれを求めていたのでした。


幼稚園では
未就園児とそのお母さんのために
園のお母さんたちがボランティアで見守りながらお散歩する日を作っていて
長女が未就園児のときは
その時間に本当に助けられた。

だから娘が入園したあとは
ボランティアとして
見守るのは当然のことだと思ってたし
楽しみにしていた。

息子と一緒に参加して
森の中を歩かせてあげたいとも思ってた。


でも
本当はゆっくり休みたい
そんな声が聞こえてきて
勇気を出して
本当に行きたいと思える日以外は
行くのをやめにしてみた。

周りからの目を気にして生きてきた私は
すごく気になって
勝手に申し訳ない気持ちになった。

でも自分の気持ちと違うことができなくて
したくなくて
勇気を出して休んでみた。



私も頑張ってるから
あなたも頑張るのが当たり前

そんな世界を
やめたかった。

やりたいから
嬉しいから
ただやる。

私がそうありたいし
他の人にもそうあってほしい。



友達からの楽しそうなお誘いでも
体調優先して断ったり
いつもなら頼まれてオッケーしてたことも
気分が乗らなかったら
勇気を出して断ってみたり。

緊張したし勇気がいったけれど
今まで当たり前にやってたことでも
違和感があったら
ひとつずつやめてみた。



以前の私は

人が家に来るときは
掃除して綺麗にして
泊まりに来てくれるときは
美味しい料理を作って
頑張っておもてなしをしていた。

それが好きだったし
そうしたかった。

でも
子どもが生まれて
体力も落ちていて
人よりなんでもゆっくりな私は
おもてなしを喜んでできなくなっていた。


あるとき
もう汚いまんまでもいいや〜
と気の合う友達に来てもらったら
「やらせてくれるのが嬉しい」
と勝手に掃除してご飯を作ってくれるようになった。


子どもを見るのが大好きな友達が
子どもたちを預かってくれて
迎えに行くとご飯まで食べさせてくれたこともあった。
その友達のお母さんまで優しくて
実家に帰ってるかのようにくつろげて
今でもふとした瞬間にその友達の家に帰りたくなる。
私は自分の実家がくつろげたことがないから
本当に嬉しい体験だった。

他にも子どもといるのが大好きな友達がいて
喜んで預かってくれて
私は子どもと遊ぶのが正直好きでもないから(本音)
そんな人たちがいるのかーと衝撃だった。笑

私も子どもも満たされて
私は私ができることをして
(みんなが苦手なパソコン作業とかしたり、マニアックな情報をシェアしたり笑)
こんなに素晴らしい循環はないなぁと思った。


あるとき
関東から友達が泊まりに来てくれたとき
娘がちょうど熱を出してしまった。

新潟の美味しいもの食べさせてあげたいな
とか
いろんなとこ連れていきたいな
なんて思ってたのに
私は娘のことが心配で
友達にしてあげたいことが
思ってたようにできなかった。

友達たちは
勝手に近所のからあげ屋さんに買い物に行って
コンビニ行ってビール買って
自由にしてくれてて
楽しかったからまた来たい
そう言って本当に次の年も遊びに来てくれた。


いつも家が綺麗で
おもてなしができて
そんな人に憧れてて
そうなりたかったけど

自分はそうじゃなくていいや
私は私でいればいいや
そうやって諦めて観念して
自分じゃない誰かになろうとするのをやめたら
自然に私を助けてくれる人があらわれた。


そのままの自分を出したら
安心して付き合えて
私が苦手なことやできないことを
友達がやってくれて
私が好きなことややりたいことで
喜んでもらえた。


自分のできないこと
やりたくないことを認めたら
他人のできないことも
やりたくないことも
優しい気持ちで認められる。
すごいところも
素直に尊敬できる。


私は私の本当にしたいようにしてもいいんだ
私のままでもいいんだ
そう思えた体験は
私にとっては大きなギフトでした。


休みたいときは休んで

大好きな自然の中で
歩いたり
畑をしたり
泳いだり

踊って

美しいものに触れて

本当に自分のしたいことをしていたら
自然と繋がったら
肚が決まってきた。

自分の声が聞こえるようになった。

  

本当の声を押し込めて
聞こえないふりして
違う誰かになろうとして

そんなことをやめたら
自分がどんな人か
少しずつわかるようになってきた。


できることも
得意なことも
好きなことも
体の性質も
全てが違うのに

誰かと一緒にしようとしても
心地いいわけがない。



どんな情報も言葉も
私にとって必要なのか
私にとって心地よいのか
それは自分にしかわからない。



だから
どんなに知識を並べられたって
恐怖を煽られたって
自分の奥底からの声が違うっていうなら
それは採用しなくたっていい。


これが私の真ん中だー!を体感したら
ブレても
不安になっても
落ち着いて深呼吸して
真ん中に戻ればいいって思う。


真ん中がないと
誰かの体験を聞けば真似したくなって
セッションを受ければ言われた通りにしたくなって
迷子になってしまう。




新潟に住んで七年が経ち
夫の転勤で明石に引っ越した。

久しぶりの街での暮らし。
娘が学校に行かなくなって
自分の時間がなくて
余裕がなくなって

また真ん中がわからなくなって
自分を見失って
助けを求める人を間違えたりして。

もうだめだ〜と
身体と心の専門家の人に相談して
どんなスピリチュアルな言葉で導いてくれるのか期待したら
かけてくれた言葉は
「自然の中で過ごして、
筋トレしたほうがいいんじゃない」
でした。笑

ごもっとも。


そして
大好きな沖縄の自然の中で暮らしたくて
引っ越してきたのでした。




火災、台風、震災、ウイルスの慢延・・
いろんなことが起これば
情報がたくさんやってくる。

そのときに信じられるのは
他の誰でもない
自分。



今の世の中は
左脳的に
男性的に
論理的に説明して
人を導く(無理やり納得させる?)
風潮があるようなところがある。

発展するためには
必要なことだったとも思う。 


でもこれからは
うまく言葉にできなくても
自分の真ん中を見つけたら
自分の声が聞けたら
「なんとなく違う気がする」
「なんとなくそうだと思う」
そんなふうに直感で判断したっていいと思う。

女の勘は鋭いってやつです。


自分の本当の声を聞くこと
自然のリズムに共鳴すること
身体を大切にすること


私が
大切にしていること
大切にしたいことです。





yayoi